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人間五十年 下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり
一度生を得て 滅せぬ者のあるべきか
敦盛 幸若舞
幸若舞の敦盛「人間五十年 ・・・・・」を舞って、
桶狭間へ疾駆していった信長。
戦争の子、信長、
四十九歳本能寺にたおれるまで
百回以上に及ぶ戦いの日々。
その精神とはいかなるものか。
倫理とはいかなるものか。
その果てしない戦い。
その中から見えてくるものは何か。
彼が成し遂げた現実の変革。
新しい文化の創造。
安土城築城。
戦争の精神。
文化の精神。
その結合。
道をつくり橋を架け、
関所を撤廃し、
楽市楽座を設け、
商業を活発にし、
農民を開放し
工業を興し、
税を改め、
人々の暮らしの確立。
中世から近世への時代の転換。
今回は聞香炉の代わりに、
倉敷で手に入れた蕎麦ちょこを使ってみました。
模様が楽しかったからです。
すこし大きめですが、手にもゆったりフィットして、
豊麗な香りがたちあがりました。
巴さんは、香に聞き
夢澄みて無念の中に神宿る
信長語らん 梅一輪
羑代さんは
深く澄む紺碧の空に見るものは
すべて幻はかなき夢よ
蒼穹のかなたに見えし幻は
異国を歩む己が姿か
敦子さんは
みはるかす湖上に浮かぶ能舞台
夢幻のうたと吹きわたる風
淑子さんは
戦乱の世を駆け抜けしつわものの
残せしものは今のこの国
幕末の動乱時期、
自らの命を懸けて日本の未来を考え行動した吉田松陰。
その松陰の私塾・松下村塾では、高杉普作をはじめとして、
久坂玄瑞、伊藤博文、山形有朋などが育っていきました。
その松陰は、日本の将来に危機感を持ち、
彼らの一歩先を、全力で疾駆していた人です。
◎留魂の願い
刑死する前に書かれた遺書、『留魂録』の冒頭には、
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
と、“魂”を留め置く“録”をしたためた松陰。
「自分は間もなく三十年の生涯を閉じるが、
十歳で死ぬ者もあれば二十歳で死ぬ者もいる。
それぞれの人が春夏秋冬の四季をもって
天から与えられた寿命を終えるのだから、
私にも四季の終わりが来たにすぎないのだ。
長いとか短いとかを問題にはしない。
この三十年で私のむすんだ実はモミガラであったか、
粟であったか、私の知るところではない。
もし同士諸君の中に私の志を継いでやろうと人があったら、
それは私の実らせたものが、
モミガラでなくて確かに種子であったということになる。
どうか諸君、私の胸の中を察してくれ」