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聞香記ー33 聞香 『わらべうた:雪』
 
seicho

先週の土曜日は聞香の会。
「わらべうた:雪やコンコン/その他」を主題にして、
香りを楽しみました。
宮沢賢治の「永訣の朝」も。

香りは五つ。
今回の香り立ちは、
豊かな心を感じさせる伽羅。
冬の生活を感じさせる羅国。
おさなごころの真南蛮。
春を待つ心は佐曽羅。
穏やかな日々の寸門多羅。

その中でも真南蛮は複雑な香りでした。
やはり、幼い心は様々な思いに抱かれているものですね。




seicho


巴さんの感じられた香りの印象は次のようなものでした。

雪間の草の伽羅。
野中のバラの羅国。
蜂が飛び交う真南蛮。
ピンクのアイスの佐曽羅。
わすれな草の寸門多羅。

そのすべては宮沢賢治の詩の中にある聖い資糧であり、
兜卒の天の食のようだと感じられたとのこと。

兜卒の天の食とは、弥勒菩薩の住む兜卒天の食で、
衆生を救う弥勒の意思のエネルギーの源となるという意味です。
(日本文化藝術財団「四季おりおり・わらべうたの旅」http://blog.canpan.info/shikioriori/より)

そして、詠われた歌は、

 雪どけの 土に陽さし 草めばえ
  陽炎ゆれる 北風の中
                           


seicho


敦子さんは、

 
真っ白な 雪を丸めて 手のなかに
  大切なもの そっと想いて


手の中にまるめている大切な想いとは・・・・・。




seicho


良子さんの記憶にあるのは、
幼いころに、いつも妹さんを背負いながら、
“うた”を歌っておられたお母さまのお姿です。

そのお母さまの“うた声”が、
これまた、お母さまの子どものころの姿をも想像させるのでした。

 妹を 負いて歌える わらべうた
   母の声音に 幼子の母



seicho


淑子さんも幼い頃に食べた“綿菓子”などを思い出されて、

  
わらべうた 雪はコンコン 降るものと
    歌いし頃を 思い出されて



seicho


今回、香元を担当された羑代さんは、
舞いながら降ってくる雪にかぎりない美しさを感じられて、

  
風に乗り 舞いちる花の かぎりなく
    やさしくつつむ 天の使いかも


   雪降りて 白一色の 前栽に
   幼き声の 喜び聞こゆ



香席は豊かな香りにつつまれ、
香りと雪が一体となって、
広がっていきました。

聞香一如です。







| 香りの冒険者 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記・雪
 


東北地方には
雪の降るのを見ながら歌う“わらべうた”があります。 



上見れば(雪)

 

上見れば 虫コ

中見れば 綿(わだ)

下見れば 雪(ゆぎ)

雪の降る姿をじっくりと見たことはありますか?
上のほうの雪は虫に、
中ごろの雪は綿のように見え、
下のほうはハッキリと雪。
上のほうの雪はじっくり見たことはありません。
今度、雪降る日に出合ったら落ち着いて見てみましょう。


このように、日本文化藝術財団の「四季おりおり・わらべうたの旅」に書きましたら
http://blog.canpan.info/shikioriori/ (四季おりおり)

なんと、今日は朝から雪。

上のほうの雪は虫に、

中ごろの雪は綿のように見え、

下のほうはハッキリと雪。


と見えるかと上の方を見上げてみました。
上の方の雪はグレーの空の中にまぎれてよくは見えません。
しばらくじっと見つめているとやっとその陰影が見えてきました。
まるで虫がふぁ〜と風にまかれて左右に飛んでいきます。

写真ではうまくとらえることはできませんでした。

中ごろの雪は少し大きく見えふわふわと見えて綿のよう・・・・・。

地面ではハッキリと雪でした。





明日は、麹町の「香の会」で、
“わらべうた”を主題にして聞香稽古です。

楽しい香りになるでしょうね。







| 香りの冒険者 | 13:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記-32 信長と聞香悉能知



六義園・心泉亭で水の和聞香体験講座がありました。

主題は、織田信長で、「夢幻香」。


不思議なのは、武士の香りといわれた羅国の香木が、
強く苦く香る状況になったことでした。
それは、闘う武士たちの香りとなったのでしょうか。



seicho 

今回は、真那賀は忍耐をあらわし、
       佐曽羅は慈悲。
          寸門多羅は闘う男の香りとなりました。

伽羅は優しく香り立ち、
真南蛮も、なんと、上品で優しかったのです。

信長は、優しい男。
そう想像させる香木の香りでした。



seicho  滋賀県・安土町「信長の館」 

真南蛮の香りに、
やさしさと上品さを感じとった隆司さんは、
信長と香に、聞香一如。

  信長よ 香る真南蛮 たずねると     
   変化に富みて 魅かれてしまう



つきぬ魅力を持った信長でした。


seicho   滋賀県・安土町「信長の館」 


そこに、信長が坐っているようです。




水の和聞香体験講座に参加ご希望の方は下記にご連絡ください。
よろしくお願い申し上げます。
http://miznowa.jp/event/monkoukouza/









| 香りの冒険者 | 16:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記
 写真・晟聴

香席に参加し主題と向き合う時、
いつも思い起こすのは次の言葉です。


「歴史、というのは、
昔の現実の細部の一片を、
現在の自分の生の内部において、
再現あるいは再演することであろう。
これは非常に苦労なことだ」
 
(『信長発見』秋山駿著より)











| 香りの冒険者 | 14:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記ー31 信長と聞香悉能知
 
seicho

信長の変革は戦場における槍の長さだけではありませんでした。

安土城を築城し、その城下町をつくった時には、

「近江安土山下町中宛掟書」に、
一、「諸座、諸役、諸公事等、悉く免許の事」
   (ここに住む者は税金を払わなくていい。)
二、「往還の商人、上海(街)道はこれを相留め、上下とも当町に至って寄宿すべし」。(安土を通過する者は、とにかく当地に一泊せよ。)

これは画期的なことであった。由来日本の町は不審な者の宿泊を忌避する。その反対のことを為せ、という。(資料:秋山駿著『信長』より)

そのような信長について、  

「秀吉、信長の政(まつりごと)を承けてこれを拡充し、家康、秀吉の政を承けて更にこれを拡充す。信長の理想は、秀吉、家康を経て次第に現実に現れ、以て徳川時代三百年の太平を開き、明治、大正の御世を生ずべき淵源となれり。(中略)現実よりいえば、今の日本の政府は信長の建てたる政府を継承したるものにほかならずとすれば、およそ日本国民たるもの、何ぞこの新時代の開祖に向(むかつ)て感謝の情なきを得んや。」(山路愛山『徳川家康』)

この言葉は、秋山駿著『信長』に述べられているものです。
そして、作者は「私も感謝の情の一片を捧げようとする」と。

信長の事業は、いわゆる社会資本の整備や市場経済の活性化から始まって様々な事柄に及びます。

安土城を築城し、道をつくり、橋を架け、関所を撤廃し、楽市楽座を設け、商業を活発にし、農民を開放し、工業を興し、税を改めていった信長。中世から近世への時代の転換への道筋を生み出したのです。


seicho

2012年1月、1534年生まれの信長とつながろうとして様々なものに出合っていくことの楽しみ。

安土城の写真を見て安土町への旅を思い出し、本を読み、あれこれ想像することも楽しいことです。どのような声で話したのか。どのような目つきだったのか。その所作は、その他もろもろ。


気分転換にはコーヒーを。
香りは部屋に漂い。
香の会の資料を作り。
香包の紙を選び。
香木をつつむ。

聞香の主題は織田信長。
題して、「夢幻香」



 

| 香りの冒険者 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記ー30 信長と聞香悉能知ー2
 
seicho

安土城天主六階です。
五階は仏教の世界観でしたが、こちらは天地創造の中国故事に基づく、道教・儒教の教えが描かれ、天下人の倫理観をはぐくむ「天道思想」を具体的に教えています。
私も大好きな「老子」も描かれています。
また「孔子」も描かれ、経済、政治、宗教の三権力のバランスを計る帝王の教えを説いています。(資料:「復元 安土城天主」より)

五階もそうでしたが漆塗りの床。すべてが映り込んでいます。
その中で坐禅をしたら、まるで重力感覚がなくなり宙に浮いているような心地になるでしょうね。



seicho

このような城を造った信長とはどのような人物なのでしょう。
小説や映画、TV番組などであまりにも有名ですが・・・・・。


 秋山駿著『信長』によると、

信長とは何者か?
そして、人はいかにして、小なるものから発して大なるものへと到るのか?
信長の生の事実において、もっとも驚嘆すべきはこの点だ。彼は非凡な解答を与えた。
次は、信長奮闘期の要約。

「天文十八年、信長が十六歳にて、父信秀の後を相続して以来、永禄三年二十七歳にて、今川義元を桶狭間の一戦に斃し、威名を天下に轟かすに至るまで、中間十一年は、その立脚地を踏み固めるための努力に消磨された。主孤に臣疑い、親戚反噬し、四境を覗うは、彼の立場であった。彼が進んで敵に対するに先だち、自ら不敗の地を占むるまでの苦労骨折は、一通りではなかった。」(徳富蘇峰『近代日本国民史』「織田信長(一)」)

また『信長公記』には、

信長十六、七、八までは、別の御遊びは御座なし。馬を朝夕御稽古、又、三月より九月までは川に入り、水練の御達者なり。その折節、竹鑓(やり)にて扣(たた)き合ひを御覧じ、兎角、鑓(やり)はみじかくて候ては悪しく候はんと仰せられ候て、三間柄、三間々中柄などにさせられ、其の比(ころ)の御形儀、明衣(ゆかたびら)の袖をはずし、半袴、ひうち袋、色々余多付けさせられ、御髪はちやせんに、くれなゐ糸、もゑぎ糸にて巻き立て、ゆわせられ、太刀、朱ざやをささせられ、悉く朱武者に仰せ付けられ、市川大介めしよせられ、御弓お稽古。橋本一巴を師匠として鉄砲御稽古。平田三位不断召し寄せられ、兵法お稽古。御鷹野等なり。

まさに時代は戦国時代。
すべてが戦に向けた激烈というしかない青春です。

その若き信長の考え実行した槍(やり)の長さはなんと6・3メートルなのです。
従来の槍の長さは4・5メートルぐらいですから、信長の兵士はずいぶんと長い槍を使うようになったのです。まさに戦場での戦い方の革新です。


つづく


| 香りの冒険者 | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記ー29  信長と聞香悉能知

seicho  復元 安土城天主(「信長の館」安土町)

昨年の春、滋賀県の安土の地を訪れ「安土城天主 信長の館」で、1992年 スペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示に出展された安土城天主を観てきました。

万博終了後、安土町が譲りうけた安土城最上部5・6階部分。
解説によると、安土城は、1579年(天正7年)、織田信長の命により建てられ、高さ約46メートルの壮大で絢爛豪華なものです。しかし、わずか3年で焼失。「幻の名城」と呼ばれてきたのです。

天主五階は、正八角形の「八角の段」と称し、宇宙を形どっています。柱や天井はすべて朱漆。建築構成は法隆寺夢殿のようになっています。柱にはのぼり竜、くだり竜の彫刻。地獄より天国へいたる仏教観を示しています。
 内陣には、釈迦が釈門十大弟子に教えを説く様子(釈迦説法図)。外陣(廊下)に面しては、地獄における餓鬼畜生(阿鼻地獄図)が金碧極彩色で描かれています。

そこで思い起こすのは、仏教の教えが書かれた経文「法華経」でした。
そこでは、「聞香」の文字が印象深く思い出されるのです。

いつも香道で使っている“聞香”。

その文字は、「法華経」では、聞香悉能知(香を聞きて悉く能く知らん)と。


聞香悉能知

(香を聞きて悉く能く知らん)




つづく


資料:「復元 安土城天主〜南蛮風唐様デザイン〜」 (信長の館冊子) 
    発行 財団法人安土文芸の郷振興事業団 安土城天主 信長の館

    『法華経』坂本幸男 岩本 裕 著  岩波書店


  
| 香りの冒険者 | 19:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記ー年の初めに2
 


一日には真言宗のお寺である山口観音に初詣。
多くの人々が初詣に列をなしての参拝でした。
二日もは禅修行の道場のある臨済宗妙心寺派の平林寺に詣でました。
静かに林の中を散策。
三日の午後には遠方から来た家族たちもそれぞれの家に戻り、静かにひとり香木を用意して香に聞いていくひととき。




深く優しい香りに包まれました。今年も、香りの中に豊かな感情と光り輝く知恵を見出していきたいと思います。真の復興元年となりますように祈りを込めて。


昨年から日本文化藝術財団「四季おりおり・わらべうたの旅」を書かせていただいております。どうぞこちらも訪ねてみてください。
http://blog.canpan.info/shikioriori/




| 香りの冒険者 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記-年の初めに
 

昨年の暮れの稽古の時、淑子さんから頂いた歌です。

香席とはまさにこのようなもの。
仲間との楽しいひととき、
かけがえのないものです。

今年も香の稽古を楽しみましょう。



写真・晟聴写真・伊達晟聴






| 香りの冒険者 | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
謹賀新年 一月吉日
 
seicho

謹賀新年 一月吉日

明けましておめでとうございます。
旧年中はいろいろとお世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年、中高時代の母校・関西大倉学園の広報誌「CYCAS(サイカス)」に思い出の記を書かせていただきました。年頭に当たりそれを載せてみたいと思います。


今あることの幸せ

 

中・高と、6年間お世話になった関西大倉。
国語の授業のとき、寺田種茂先生が頭をコツンと。それが野球部に入れという合図。先生は野球部の顧問。そんなわけで、クラスから3人の部員が誕生しました。三好君と林君と私。試合の戦歴はまあまあと言っておきましょう。

覚えているのは、汗まみれのユニフォームの匂い。子どもから少年への脱皮は、幼くも汗臭い戦いの場からはじまりました。

勉強は、好きになった先生の授業はやはり身が入りました。数学の藤田泰治郎先生、理科の平野康蔵先生。英語は安井良蔵先生で、予習復習をしていないと機嫌が一気に悪化。必死で予習復習の日々でした。友だちには恵まれていました。いつも一緒にいたのは藤井君、中村君、舟守君たち。
今よく会うようになったのは後藤君。昨年の同窓会には懐かしいクラスメイトが集いました。
兄と同級生の久次米先輩には、今もお世
話になっております。

151617歳の頃というのは自己発見し、人生の目標を見出すとき。私はその大切なことを悶々としながら先延ばしをしていたようです。“おくて”で真面目一方、反抗期はむしろ社会に出てからでしょうか。大学に入ると、もっぱら写真部の活動に精を出し、卒業後、東京に出て写真家の道を探りました。しかし、案の定、未熟の付けが回ってきました。写真家としての知恵がまったく欠けていることに気づいたのです。それから2年、図書館で歴史書などを読み漁り、粘り粘ってやっと写真家として道が開けました。その後、雑誌や広告の写真を撮り、編集や出版企画の仕事もしました。そこで出合った“香道”に魅入られ、研鑽を重ね、現在に至ります。

香道は、香りと文学が結びついた日本独自のもの。香りを嗅ぐとはいわず、聞くといい、その作法を聞香(もんこう)と呼びます。それは、人生=人の心を香りに聞いていく心の遊びです。香りは記憶や感情をつかさどる大脳辺縁系を刺激し、快感物質も分泌されます。香席では主題の歌や物語と香りによって、想像力が高まり、さまざまなことが想起されていきます。

先日、ある証券会社の方々と香席を楽しみました。主題は織田信長でタイトルは夢幻香(むげんこう)。信長の人生を香りに託して語り合う素敵なひと時を過ごしました。

同窓会OBの皆さまも、また関西大倉生も一度“聞香”を体験なさってみてはいかがでしょう。

きっと楽しい体験となると思います。


 

 
seicho


 

| 香りの冒険者 | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
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