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聞香記ー11  『伊勢物語』 芥川 その2
 
seicho画・模写 伝俵屋宗達筆「伊勢物語図色紙 芥川図」より

夜露がキラリと光る、草の上で。
背負われた女は男の背で尋ねた。

“あれは、なあに?”と。

恋の逃避行。
逃げる途中、男に余裕はなかった。
応えることもなく女を背負い、男はひたすら歩く。

大修館書店の『国語百科』より
『伊勢物語』(六段・芥川)を読むと、

「落ち行く先は遠く、
夜も更け、雨は本降りになっていた。
路傍に荒れ果てた蔵があった。
男は女を蔵にいざない、戸口で女を守った。
蔵には鬼が棲んでいた。
鬼は女をひと口で食べてしまった。
折からの雷鳴に、悲鳴は男の耳に届かなかった。
翌朝になってそれを知り、
男はじだんだを踏んで悔やんだが、
後の祭りだった。」

せつない話です。

女を失った後、嘆き悲しむ男は次のように歌を詠んだのです。

 白玉か何ぞと人の問ひしとき
        露とこたへて消えなましものを
                                                       
(芥川六段)

(光っているのは真珠なの、と女が尋ねた時、あれは露さ、と答えて、あの時私は消えてしまえばよかったのに。一人残されて、私はどうしたらよかろう。)大修館書店の『国語百科』より

今月は、この『伊勢物語:芥川』を主題にして、
「香席」と「聞香稽古」をしました。


seicho撮 大橋茶寮にて

「香席」では、香りに託した男のせつない心を的確にとらえられて、とてもすてきな感想が寄せられました。香りは皆さまの心に届いたようです。せつなくも愛にあふれた香が皆さまの心に、そしてお部屋にも満ちました。






seicho画 模写部分

聞香稽古では、香りに聞いた男のせつない恋心を歌に託されました。


   淑子さんは、「伽羅」の香りに聞きて

 
ふきわたる 風に聞きたや 白玉の
  こぼれしのちの その行き先を

女を失い哀しみに沈む男の姿が見えてきますね。









 
 

そして、敦子さんも、

 露ひとつ ころがり落ちし 闇の中
   ゆきつく先の まっくらき底









  
   

羑子さんの歌心は、

 背に残る 愛しき人の ぬくもりに
  萩野に光る 露の哀しさ






  



 巴さんは、香りにつつまれて
         
       伽羅の香に聞き、

 
とうとしと うるわしと香る こころ花
  たえてひさしく 消えぬものかは

       羅国の香に聞きて

 陽がのぼり 新しき露の かがやきぬ
  この一日の 尊きものかは

     真南蛮の香に聞き

 
清く澄みて香るらむ 
  人の心のあたたかくうれしく

       佐曾羅の香に

 
夏山の やさしき野辺で いこふらむ
  初鳴の旅の ゆくへ幸あれ

     
寸門多羅の香に
 
 夜の闇に 立ちしおのこの 心意気
  ますらをぶりの うるわしきかな



seicho画 模写

 
| 香りの冒険者 | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記ー11
 
seicho画・模写 伝俵屋宗達筆「伊勢物語図色紙 芥川図」より
   
    白玉か何ぞと人の問ひしとき
        露とこたへて消えなましものを
                                                       
(芥川六段)

『伊勢物語』の芥川の場面です。
模写したのは伝俵屋宗達筆「伊勢物語図色紙 芥川図」(大和文華館蔵)、日本の古典を見る『伊勢物語』世界文化社より

以前から大好きな元の絵は、宗達の独特な色彩と筆運びで、
観ていてせつなくなる二人の姿が描かれています。

お話は、大修館書店の『国語百科』によれば、

「昔、男がいた。男には、長年にわたって恋い続ける女がいたが、結婚することのできない、高嶺の花であった。(略)」

この女の実家では帝の妃にしようとしていたようです。
「かって妃であった伯母に預けて宮中に隠した。」
しかし、

「ある雷鳴の轟く夜」のこと、「男は女のもとに走った。盗もうというのである。事を決行して男は逃げた。恋しい男の背に背負われて女は幸せであった。川面を暗くして川が流れていた。芥川である。」

ここからすこし俵万智著『恋する伊勢物語』で述べられているところを読んでみましょう。

「暗い道をせっせと逃げている途中、芥川という川のところで、背中の彼女が、また実にかわいいことを言う。草の上に夜露が玉を結び、キラキラと光っている様子を見て、
“あれは、なあに?”−−このせっぱつまった時に、拍子抜けするほど、おっとりとしたお姫さまだ。
追っ手でも近づいてきたかと思って、男はぎくっとしたことだろう。で、見れば、草の露。これは、彼女が邸の中で大切に育てられた証しでもある。野原に露が輝く光景など、見たことがないのだ。そして、非常事態にもかかわらず、美しいものには心をひかれる無邪気さ。

“あれは、なあに?”

−−この場面において、これ以上の殺し文句があるだろうか。無垢で純真という彼女の美点をストレートに表しつつ、男を頼って信じきっている心をも、同時に伝えている。」

う〜ん、いいですね。
来週は、この『伊勢物語』芥川の場面を主題にして、恋の思いを香りに聞いてみようと思っているのです。
もう少し読んでいきましょう。

つづく

| 香りの冒険者 | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香記ー10 室町乱世の香
 
seicho撮

何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ

憂きもひととき、うれしきも、思ひさませば夢候よ



建武2年(1335)の夏、二条川原の落書に

「この頃都に流行るもの、夜討ち、強盗、偽綸旨、召人早馬から騒動、生首、還俗、自由出家、俄大名、――譜代、外様のさべつなく、自由狼藉世界なり。茶香十炷(じゅつしゆ)の寄合や、犬田楽は関東の、滅ぶる元といいながら、田楽はなお流行るなり、――」とあって、茶の湯と十炷の香の集まりが流行している。

上記は『香料 日本のにおい』山田憲太郎著に述べられている中世のありさまです。

先月の月例「香の稽古」では、「室町時代の文化人と香」についてお話しながらその時代の風を香に聞いてみました。

香席の前に、お持ちした香木を中世の人の気持ちになって削り、その香味を味わい、印象を語り合う楽しみもおこなってみました。


seicho

淑子さんは自ら選んだ香木を削り、香味を聞き、その香木を『薄紅』と名付けられ、

 かすかにもはかなく香り薄紅の花にも似たり

とされました。


巴さんの選ばれた香木は、

 夏の夕暮れ、行水のときのからす瓜の花の香り

名は『夕顔』と。


また、羑代さんは『夕暮』という名を付けられ、

 やわらかく 暖かく 朱色に染まる夕陽。
               

そして、良子さんは、

 かすかな 静かな 空気の香り 空のひろがり

 香の名は、『薄暮(はくぼ)』。


もう一つの香木を聞いた純世さんは、

 遠い島から
 流れ着いた椰子の実

と感想を述べられました。
純世さんはハワイ在住の方で、
本日はゲストです。


seicho

さて、香席の証歌は、

 なれや知る 都は野辺の 夕ひばり
  あがるを見ても 落つるなみだは
            
          幕府・奉行 飯尾彦六左衛門


いつの時代も大変です。
しかし、戦さが日常という10年に続く応仁の乱。
その現実は私たちには想像のつかない悲しみにあふれていたと思われます。


応仁・文明の乱

応仁元年(1467)から始まって文明9年(1477)まで続いた動乱ほど悲惨なものはない。

10年間ものだらだらした戦いで、宮廷、室町幕府を中心とする京都の最も大切な北部市街は、公家・武家屋敷の密集地域もろとも、焼けてしまった。

不安と戦乱を背後であおりたてたのは一揆だった。

これこそ下剋上の見本である。

領主に対する非法で、土地を追われた地頭や荘官などは悪党というものに変じ、領主層にそむき、安定していた地方制度を破壊した。

加えて天候異変、米価があがり、餓死者が続出。

大飢饉。

寛政2(1461)になると事情はもっと悪くなり、四条の橋の上から上流を見ると、

川原は餓死者の死体でいっぱいになり、水も流れず、死臭が鼻をついた。

洛北の一僧侶が小さい木片で卒塔婆8万4千枚をつくり、死者1人ひとりの上に置いていったら、2千枚余ったという。その時だけで餓死者はつまり8万2千人あったのである。

 (参考資料『香道への招待』北小路功光 北小路成子著)


香炉からかおりたった香は、
みやびさの中にせつなさを、
荒れた心に、
ひとときの救いを感じさせてくれました。

香に聞きて、

 夕ひばり 都の野辺は 薫れども
  おつる涙を なれは知るかは
                      

 

 
つらき世を のがれのがれて 花の御所
  知性の道に 迷いし心
              淑子

将軍義政の心を詠まれたのですね。



 吹き荒れる 砂の嵐の その中を
  かすかな香り 今につづきて
              敦子

 
氷雨降る 荒れにし都 卒塔婆あり
  そばに小さき 一輪の花  
                羑代 

みなさまは、香りに聞いて、15世紀の京の都を想像されているのですね
そこには、羑代が手向けた一輪の花も・・・・・。

(寛政
2(1461)になると事情はもっと悪くなり、四条の橋の上から上流を見ると、川原は餓死者の死体でいっぱいになり、水も流れず、死臭が鼻をついた。

洛北の一僧侶が小さい木片で卒塔婆8万4千枚をつくり、死者1人ひとりの上に置いていったら、2千枚余ったという。その時だけで餓死者はつまり8万2千人あったのである。資料『香道への招待』北小路功光 北小路成子著)


ハワイからのゲスト・純世さんは香りを色で感じられました。
それは、虹のように視覚化されたようです。
気高い紫、春のピンクのような空気。雑踏、ブルー。


伽羅
(きゃら)

()(こく)
()南蛮(なばん)
()那賀(なか)
佐曽(さそ)()
寸門(すも)多羅(たら)
 

 

香木の香りはそれぞれに素敵です。
聞香は楽しい。


seicho撮

そろそろ紫陽花の季節も過ぎていきます。

| 香りの冒険者 | 09:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
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