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“そらだきもの心にくくかおりいで” とあります。
『枕草子』では、
「こころときめきするもの」として、
“よきたきものたきてひとりふしたる”
当時の宮廷では人々は大いに香りを楽しんでいたようですね。
現代では、『香りの手帳』(香老舗松栄堂広報室編)の中で作家・藤本義一氏は次のように述べられています。
「香道を復活させたなら、絶対にボケ封じになると思う。(略)
鼻から直結する脳に香りを送り込んだなら、
脳細胞百四十億は活発に動きはじめ、集中力と同時に、興奮系物質のドーパミン等が脳を潤すようになるのではないだろうか。(略)
香りの文化をわれわれはどうも江戸時代よりも軽視しているようだ。(略)
香りが人間の深い生理の部分に関与しているということを考えてもいいのではないか。そうすれば、文化は百分の五。 五パーセントぐらい前進する筈だ」と。
そうですね。
ところで、清少納言という人はどのような人だったのでしょう。
彼女の鋭い感性と美意識、そして機知に富む文章力はどのようにしてうまれたのでしょうか。
清少納言の祖父は歌の名人・清原元輔です。彼女はその晩年の子。
曽祖父はこれまた優れた歌人・清原深養父(ふかやぶ)です。
では二人の歌は、
まず父・元輔の歌は次のようなものがあります。
代作歌です。
人から頼まれ代わりに詠った恋の歌。
歌のうまい人には、よくあることだったのですね。
『和歌の解釈と観賞事典』 井上宗雄・武川忠一編より歌をじっくり味わってみましょう。
「心かはり侍りける女に、人に代わりて」
契りきな かたみに袖を 絞りつつ
末の松山 浪越えさじとは
(後拾遺集・巻十四・恋四・七七〇)
(二人はあの時固く誓いあったのでしたよね、互いに涙に濡れる袖を幾度も絞りながら、あの末の松山を波は決して越えることがないのだ、私たちの仲も決して・・・・・と。 歌の訳及び解釈は『和歌の解釈と観賞事典』 井上宗雄・武川忠一編より)
曽祖父・清原深養父(ふかやぶ)の歌は、
夏の夜は まだよひながら 明けぬるを
雲のいづくに 月やどるらむ
(古今集・巻三・夏歌・一六六)
(
seicho撮
明けやすい夏の短夜を思い切った誇張をもって詠み、それに月が配されて、夏の夜の気分を強く出している歌なのです。機知に富んだ歌心。その裏にはしっとりとした情感。夏の夜の月への思いと愛惜。 (歌の訳及び解釈は『和歌の解釈と観賞事典』 井上宗雄・武川忠一編より)
南北朝から応仁・文明の乱にいたるまで、この京も、「時の権力者によって奪われ、奪いかえされる戦いの日々」に傷だらけになっていたのです。
今では考えられないことですが、その荒れ果てたなかから、今日の日本を代表する諸芸能が生まれました。
「ひとつの根から同時に咲いた花」といわれているのです。
南無八幡大菩薩、
わが国の神明、日光権現・宇都宮、
那須ゆぜん大明神、
願はくばあの扇のまンなか射させたばせ給へ。
これを射そんずる物ならば、
弓きりをり自害して、
人に二たび面をむかふべからず。