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文政十一年(1828)、良寛七十一歳。
この年、三条を中心に大地震が越後をおそいました。
マグニチュード七にもなるという激震。
死者千六百人、負傷者千四百人をだす大惨事。
その時、友人に宛てた手紙があります。
地震は信に大変に候。野僧は何事もなく、
親類中死人もなくめでたく存じ候。
うちつけに 死なば死なずて 永らえて
かかる憂きめを 見るがわびしさ
この歌に続いて、
私などとても達し得ない境地が綴られています。
しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。
かしこ
『道元 一遍 良寛 日本の心』栗田勇著には
次のような記述があります。
驚くなかれ、災難さえありのままに受け容れ、
身を「任」そうというのである。
災難と一体になってしまえば、
災難に苦しむ「われ」はない。
天真に任すというが、
天真はいつも青空のように晴れているわけではない。
それでもいい。
「死ぬる時節には死ぬがよく候」とまで
「任運」の心はついに達していた。
なかなかこのように達観できません。でも、そうなのですね。
「天真はいつも青空のように晴れているわけではない」とは真実と思われます。いつも晴れているばかりではありません。そう思っても心は穏やかではありません。しかし、この世は常ならず。無常です。すべては刻々と変化していきます。
それがわかれば、次への変化を起こすための勇気がわいてきます。物事は必ず変化してゆくものですから、これからは良い方向へ・・・・・。
街には桜が咲いています。
その枝にとまる一羽の鳥をみつけました、
なにを見つめているのでしょうか・・・・・。
生きることでも・・・・・、
ただ無心に自然の行くへを・・・・・。
散るさくら 残るさくらも 散るさくら
良寛の辞世の句といわれているものです。
地震から三年後のことです。
病気で弱っていた良寛は、
良寛さん、最後にいい残すことはないですかといわれ、
ただ一言、
死にとうなし
この言葉について、
前述の『道元 一遍 良寛 日本の心』栗田勇著では、
良寛は、「まことにすでに自然そのものにとけこんでいた」と。
私も、どんなに苦しいときでも、弱ったときでも、
何の屈託もなく微笑みながら言ってみたいものです。
死にとうなし と。