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聞香ノート7 雪のうちに


朝から雪が降っています。
昨年の秋に咲き残った菊の葉の上に・・・・・。

一千年少し前、
古今集の春歌上に

次のような歌が
あります。

 雪のうちに 春は来にけり 鶯の
   こほれる涙 今やとくらむ


(まだ雪の降っているうちに、春は来てしまいました。谷間にこもって春を待ち焦がれていた鶯の、鳴いてこぼした涙が寒さのために凍っていたのも、今は解けているでしょうか。)
歌意の参考資料は『和歌の解釈と観賞事典』井上宗雄 武川忠一編より

作者は、二条后(にじょうのきさき)。

藤原長良の娘で藤原高子(たかいこ)。

『伊勢物語』の第六段に登場する女の人といわれていて、以前からとてもかわいい人だと思っていました。
というのも、
「むかし、男ありけり」で有名なこの
物語の中で、
男とされる業平の背におぶさりながら、

草のうへに置きたりける露を、
「かれは何ぞ」
となむ男に問ひける。


それはそれは大変な緊急時のことなのです。
それなのに、このようにおっとりと露草のことを問うとは・・・・・。

俵万智さんの『恋する 伊勢物語』では、

「あれは、なあに?」
−−このせっぱつまった時に、
拍子ぬけするほど、おっとりとしたお姫さまだ。

追っ手でも近づいてきたかと思って、
男はぎくっとしたことだろう。


この伊勢物語第六段はどのような話かというと、
身分違いの女性に恋した男が、
その想い人を盗み出してしまう物語なのです。

行く先はまだ遠い。
女をおぶって逃げる、歩みもままならぬ。
夜になって雨。
雷まで鳴りはじめ、
しかたなくあばら家で夜を過ごす二人。
女を蔵の奥にかくまい、自分は戸口で見張る男。
一晩中。
しかし、敵は外からとは限らない。
実はというと、このあばら家には鬼が住んでいて、
女を一口で食べてしまうのです。
男の悲しみはいかばかりか。

俵万智さんは、

「盗み出す」という発想といい、
蔵の中に女をしまいこみ、

添い寝もせずに
自分は戸口に立っているという行動といい、

男にとっては
この女は、生きた宝石のようなものだっただろう、
と。

そんな中で逃げる途中、
男の背中におぶさりながら発した姫の言葉、

草の上に夜露がキラキラと光っている様子を見て、
「あれは、なあに?」


なのです。
かわいいとしか言いようがありません。

−−この場面において、
これ以上の殺し文句があるだろうか。
無垢で純心という彼女の美点をストレートに表しつつ、男を信じきっている心をも、同時に伝えている。


このように書かれる
俵万智さんの心も素敵です

物語では、悲しむ男の歌がそえられています。

 白玉か 何ぞと人の 問ひしとき
  露とこたへて 消えなましものを


「真珠?あれは、なあに」とあなたが尋ねた時、
「露ですよ」と答え、
そのまま我が身も露になって消えてしまえばよかった、
こんな悲しい結末になるのならば・・・・・。
歌意:俵万智)

なんともせつないお話です。

そして、あの雪の歌も・・・・・。
歌の作者である高子は清和天皇后となり、
女御となって陽成天皇を生み皇太后になりますが、
東光寺の僧善祐との不義を問われて
寛平八(八九六)年九月后位を剥奪され、
そのまま没してしまったのです。


「鶯のこほれる涙」とは后位を剥奪された後に、
その許しが下されるのを待ち望んだ高子の思いが寓されているとみられているとのこと。

(参考資料『和歌の解釈と観賞事典』井上宗雄 武川忠一編
春を待ち望む高子。
その心は幸せな日々を待つ想いにあふれていたことでしょう。


『伊勢物語』第六段には、この女と書かれた人が、
二条の后であることを付け加えた文章が加えられています。


まだいと若こうて后のただにおはしける時とや。
(后が普通の身分でいらした時のことだという)と。
参考資料『伊勢物語』新潮日本古典集成

雪の日のある想いでした。
香りは記憶の世界と結びついていますが、
言葉もまたなまなましく記憶の世界と結びついているものですね。

俵万智さんは、この物語の男の想いについて、

ふり返ってみて、最も印象が鮮やかだったのが、
「あれは、なあに」の一言だったのだろう。
モノによって蘇る記憶というのは、
次第に遠ざかって、ほどよい思い出色に染まってゆく。
が、言葉によって蘇る記憶は、
いつまでもナマナマしいー−そんな気がする、

と。

私もいつも蘇るのです。
「あれは、なあに」という声が・・・・・、
別に女性から言われたことがないのですが、
一冊の本がもたらした感動の感覚なのです。
本とは不思議なものです。

読書によって、
感覚を正す
とは、
いいことですね。






| 香りの冒険者 | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香ノート6 “にほひける”梅の花



朝の雪まじりの雨も上がり、
日の光もさしてきたので、
梅の香りを求めて
青梅に行って来ました。



街路樹として梅の木が植えられ
梅の花が咲いています。
家の庭には蝋梅の花。




久しぶりに訪ねた青梅です。
紀貫之の歌を思い浮かべてしまいました。

 ひとはいさ 心もしらず ふるさとは
   花ぞ昔の香に にほひける


久しぶりに訪れた貫之に向かって家の主人が、
このようにちゃんとあなたの泊まる宿はありますのに
(なぜいらっしゃらないのですか)と、・・・・・

そうおっしゃるあなたは、さあどうかしら、
心中のほどは知られません。
でも、昔なじみのこの土地の方は、
確かに梅の花が昔に変わらぬ香を放って
咲き匂うことです。

(歌の解釈資料:『和歌の解釈と観賞事典』井上宗雄 武川忠一編 笠間書院)

この歌は、
お互いによく知り合ったものどうしの
挨拶のような歌とのことです。

このような歌に
梅の香りを持ち出した貫之は楽しい人のようですね。

このように香りが人間の生活にかかわりを持つようになったは?

『茶・花・香りと生活文化』(原田佳子著 近代文芸社)では次のように述べられています。

「香り」が人間の生活と関わりを
持つようになったのは、
人類が火を発見し、
樹木を焚く中で香木や
芳香樹脂を発見した時に遡るであろう。
確かに自然の中には青葉や果実、
草花などのよい匂い、
ものが腐ったり焦げたりする嫌な匂いなど
さまざまな匂いがある。
その沢山の匂いの中から
人間の嗅覚は、
「よい匂い」と「悪い匂い」を嗅ぎ分ける。
我々は今、よい匂いを「香り」と言い、
悪い匂いを「臭」と呼んでいる。
この地球上に匂いを発する物質は、
約四十万種あると言われ、
そのうち
よい匂いを発する物質(有香物質)で
特に人間の生活に役立つものを
我々は「香料」と呼んでいる。


香りの文化はここから始まるのですね。
「梅」の発する物質は、
私たちにとって
とても「よい匂い」=「香り」なのです。

そして、
眼を閉じ
心を澄ませ
快い「香り」を聞く時、

今まで感じなかった世界が広がってくる。

現代の生活文化を語る時、
「香り」にについて触れないでは
済まされないであろう。
と述べられています。

これからも、
心を澄ませて「香り」のことを考えていきたいと思います。


| 香りの冒険者 | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香ノート5 感謝して大切に


 昼過ぎ
電話が鳴りました。
受話器をとると近くの書店からで、
注文しておいた本が届いたとのこと。
その本は、
『家族で楽しむ 歳時記・にほんの行事』
(発行:株式会社池田書店)。
以前、図書館で借りて読んでいたのですが、
とてもわかりやすく書かれ、楽しい本なので、
いつも手元においておきたいと思い注文したのです。

今日二月八日の「にほんの行事」は、針供養
子供の頃は母の針仕事をよく見ていましたね。
上記の本によると、
今日は「針に感謝して裁縫の上達を願う」とあります。
江戸時代から始まった行事です。
「この日は針仕事を休み、
折れたりさびたりして使えなくなった針を
豆腐やこんにゃく、餅などのやわらかいものに刺して
社寺に奉納したりした」
のです。

やわらかいものに刺すのは、
「それまで硬いものばかりを刺していた針を休ませて感謝するため」。
今日は“道具を大切にする心”の日なのですね。

私も、日々使っている稽古道具に感謝して、
ますます香の道に励みたいと思います。




今晩の夕食は豆腐料理、
今日は自らの心身も
やさしく滋養のあるもので
いたわってみました。

| 香りの冒険者 | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香ノート4:春たちける日
今日はとてもよく晴れた日で、
春のきざしが感じられました。
立春です。



 春たちける日よめる

袖ひちて むすびし水の こほれるを
 春立つけふの 風やとくらむ


         『古今集』紀貫之



今からおよそ一千百年ほど前、
九世紀に生きた紀貫之。
『和歌の解釈と観賞事典』では、
紀望行(きのもちゆき)の子で、母は宮廷で歌舞を演じる内教坊の妓女か倡女(しょうじょ)という説があるそうです。
(内教坊とは宮中で女楽などを教え練習させた所)


官職はあまり恵まれていなかったようですが、
和漢の知識が豊富で、国風和歌復興期の旗手として、
最初の勅撰和歌集『古今集』二十巻の編纂にたずさわったのです。

彼はどのような風貌をしていたのでしょうか。
手元の本『百人一首』(学研)の上畳本三十六歌仙(五島美術館蔵)の肖像画では、少し上を向き、口元にひげを生やし、やさしい面立ちで親しみやすい顔をしています。


その彼が詠んだ「春立ちける日よめる」の歌は、
冬の間に凍った水が立春の日の春風に解けているだろうか、という歌ですが、その思いは深く、
『和歌の解釈と観賞事典』の歌意では、次のように解説されています。

「袖が水につかって、手に掬(すく)い遊んだあの夏の日の懐かしい水が凍っているのを、立春の今日の春風が今ごろは解かしているであろうか」と。

水遊びに興じた体験が裏打ちされた歌。
冬の厳しい日々に凍った水の姿、それは自分の心でもあります。その冬の心が、夏の日の甘美な思い出をともなって、
立春到来の日に解き放たれるのです。

四季の中で生きる彼の心は、
その想像力を羽ばたかせて季節のめぐりの中に人生の生きる喜びを表現しています。その表現である詩的想像は助動詞「らむ」に支えられているとのこと。

『和歌の解釈と観賞事典』では、

立春の喜びを直接吐露するのではなく、感動を知的操作により観念化し、想像の世界を再構築して言おうとするのであり、その詩的想像を支えるのが「らむ」の助動詞である、と。

そうですね、
「想像の世界」を再構築して、感動を呼ぶ詩的世界を生み出してみたいものです。

紀貫之、会えるものなら会ってみたい人です。


| 香りの冒険者 | 16:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香ノート3 日記を購入:      和文化ダイヤリー「旧暦日々是好日」

 今年に入ってすぐに手に入れたのは、
和文化ダイヤリー「旧暦日々是好日」
(発行所:LUNAWORKS。制作:高月美樹)。
書店で拝見して、
とても素敵で、楽しそう、
思わず購入しました。




旧暦ダイヤリーなので、二月の三日、
今日から始まります。



今日は節分であり、明日は立春。
少し暖かい日が続きそうです。

節分とは、「季節を分ける」という意味。
もともと節分は

二十四節気の
立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日をさす言葉でした。

旧暦(太陰太陽暦)では
正月と立春がほぼ同じ時期で年の初めです。
節分では、
邪気を祓って
新しい年を迎えるのです。

睦月で始まる頁にむかい、
様々なことを書きはじめようと思います。

テレビのニュース番組では幼稚園に出現した鬼さんが
話題になっていました。

さて、豆をつかんで、
そーれ、鬼は外、
福は内〜。




| 香りの冒険者 | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
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