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君見ずや
絶学無為の閑道人
妄想を除かず真を求めず
無明の実相即仏性
幻化の空身即法身
証道歌 永嘉玄覚大師
『禅とは何か』澤木興道著より
禅の六祖慧能の心をたずねて香を炷くなどと、
大それたことをした聞香稽古。
その間に、多くの書物に出会いました。
澤木興道著の『禅とはなにか』もそのひとつです。
上に書いたのはその中の、『証道歌』。
「道」は生命。
自分を極め、
久遠の生命を体得する。
その先には「絶学無為の閑道人」。
学を絶して無為になった閑道人。
道元禅師の言葉を思い出します。
“坐禅は大安楽の法門なり”
ちょっと一服です。
聞香稽古で、香りに聞き想うこと
生死の日々
慧能 自在なり
澤木氏の著書には、
生死について次のように書かれています。
生死は菩薩の遊技場
「私たちは、
この無明、生死、煩悩という
すばらしいものを飲み込んで、
この人生を縦横無尽に活躍するのである」
「四季おりおり」がアップされています。
どうぞご覧ください。
心地含種性(しんちは しゅせいを ふくみ)
法雨即花生(ほううに すなわち はなしょうず)
頓悟花情已(とみに かじょうを さとりおわり)
菩提果自成(ぼだいのか おのずから しょうず)
心という土壌は 仏性の種を含んでいて
教えの雨をうけると 智慧の花が開く
即座にこの花の心を悟ってしまえば
悟りの果実はおのずから実る
TV番組「ハイビジョン特集:五木寛之仏教の旅」を観ていると、中国禅・六祖慧能の言葉が流れてきました。
慧能のことを考えると、心が豊かになります。
形にとらわれることなく、心をわずさわれない生き方こそいいんだ。
本来無一物。
昨日の慧能を主題とした聞香稽古でも、香木は豊かに香り、ゆったりとした時が流れました。
何を求めることもなく自由自在な満ち足りた気分になったのです。これも慧能のおかげでしょうか。
巴さんは、慧能の心を香りに聞いたとき、
見事に咲いていた“つわぶきの花”を思い出したそうです。
伽羅にきく慧能の心ふるさとの
南崖に咲く つわぶきの花
香にきく慧能の心君見ずや
空を漂う ひとひらの雲
巴
つづく
「四季おりおり」がアップされています。
どうぞご覧ください。