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今月の聞香主題
写真・晟聴


今月は、三つの主題で香りを楽しみます。
通常の稽古では、聞香・太宰治。

5日(日)には、向島百花園にて、
井原西鶴「好色一代男」 たまゆら香と舞の會
 出来心  世之介十九歳の時のお話。 

   出家にならねばならず

「あかねさす日の。うつり見て。夜かあけたと思ひ。燭台の光に。けふも暮れたとしりぬ。昼夜のわかちも。恋に其の身をやつし。あさましき姿となりて・・・・・」


11日(土)には、万葉の時代へと

日本文化藝術財団主催の「茶論・四季おりおり」
第二回「夏来る」です。
会場は目白庭園赤鳥庵。
どうぞご参加ください。
講師として参加します。
「四季おりおり」のお話と、「持統天皇の歌や、額田王と大海人皇子の恋の歌」などを、香りと共に楽しみます。
聞香の証歌は、持統天皇の歌です。
この歌については、財団のブログ「四季おりおり」・「夏」のところにあります。どうぞご覧ください。






| 香りの冒険者 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香イエス―4
 


あなたが祭壇に供え物を捧げようとし、
兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。    
        
                           (マタイ5 23〜24)


聞香稽古では、香木・佐曾羅は、あたたかな陽の薫り。


香りに聞き、巴さんは

 敵すらも 愛する福音  神に託され
 一粒の種ははじけて 世界動かす


 
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが死ねば、多くの実を結ぶ。        
                      (ヨハネ12 24)




「自分ひとりの幸福だけでは、生きていけない」
              太宰治著『姨捨』

「誓っていふ、私は、私一人のために行動したことはなかった」
              太宰治著『虚構の春』

「さらば読者よ、命あらばまた他日。
 元気で行こう。絶望するな。では、失敬」
              太宰治著『津軽』


| 香りの冒険者 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香イエス―3
 


安息日に律法で許されているのは、
善を行うことか。悪をおこなうことか。
命を救うことか、滅ぼすことか。
 
                 (ルカ6 9) 
イエスは安息日を廃止しません。
ただ安息日が絶対ではないことを示します。
なぜなら安息日よりずっと高い目標、すなわち人間に生命を与え、救うという目標があるのからです。
それは、律法を、愛、憐れみ、正義(神との正しい関係)という新しい光で照らすのです。
ジェラール・ベシエール著・小河陽監修『イエスの生涯』より


最近、イエスに関するテレビ番組が放送されました。
その中で、キリスト教美術のことが語られたものがあります。
残酷な磔刑の絵画。
思わず目をそむけたくなります。
しかし、解説によれば、
その絵が、精神を病んだ人を治したそうです。
ありうるなと思いました。
極限の悲痛な姿は、人の魂を救うのかもしれない。


聞香イエスの稽古。
寸門多羅は贖(あがな)いの香りがしました。

香りに聞いて、敦子さんは、

 人間の 真理語りて いのち生く
  ゆるぎなき愛 永久(とわ)にもとめて



「キリストが、その悲しみの極まりし時、“アバ、父よ!”と大声で呼んだ気持もわかるような気がする。
  母のあいより  なおもあつく
  地のもといより さらにふかし
  ひとのおもいの うえにそびえ
  おおぞらよりも ひろらかなり 
             ―さんびか第52 」

          太宰治著『正義と微笑』より

 

| 香りの冒険者 | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香イエス―2



空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だがあなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたはなおさらのことではないか。(略)

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。

明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労は、その日だけで十分である

           (マタイ6 26〜34)


聞香稽古・イエスで、
最初の香・伽羅は、天につきぬけるような香りでした。
羅国は慈しみを感じる香りとなりました。

香りに聞いて 、 淑子さんは、


 明日は明日 今日は今日とて 生きる身は
    広き心の 想いを知れり




「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。
明日のことを思ひ煩ふな。
明日は明日みずから思ひ煩はん。
けふ一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。
青空もこのごろは、ばかに綺麗だ」

                    太宰治著『新郎』より




| 香りの冒険者 | 15:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香イエス―1






ゴルゴダの丘における、イエス磔刑の後、
燃え上がるような心を復活させた人々は、
イエスの言葉や出来事を、
さまざまな思いを重ね合わせながら、
書き記していきました。
それは、福音書。



時は満ち、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい。

             
(マルコ1 15)

わたしが来たのは、
地上に火を投ずるためである。

          (ルカ12 49)


この言葉は、当時の人々の心をどれほど喜ばせたことでしょう。
しかし、既成秩序にとっては、これほど危険な言葉はなかったのです。



聞香稽古では、香木は、伽羅、羅国、真那賀、佐曾羅、寸門多羅が選ばれました。豊かに薫りたつ香木。


香に聞き、羑代さんは、

  ゴルゴダに 薄紫の 佐曾羅の香
   愛しき(かなしき)人の 姿ほの見ゆ



「あの人は寂しいのだ。(略)
矢庭にあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。おう可哀想に、あなたを罪してなるものか。あなたはいつでも優しかった。あなたはいつでも正しかった。あなたはいつでも貧しいものの味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたはまさしく神の御子だ。わたしはそれを知っています。おゆるし下さい。私はあなたを売ろうとして此の二、三日、機会をねらっていたのです。(略)危い。いますぐ、ここから逃げましょう。ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。われらの優しい主を護り、一生永く暮らして行こう、と愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸に沸きかえっておりました。きょうまで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持ちよく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静かにていねいに洗ってくだされ、腰にまとって在った手巾で柔らかく拭いて、ああ、そのときの感触は。そうだ、私はあのとき、天国を見たのかもしれない」
         
            太宰治著『駆込み訴え』より



| 香りの冒険者 | 15:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
イエスー8 太宰治と聖書
 


花や昆虫を撮るのがとても上手な友人がいます。
いつも見習って撮ることにしています。
先日、家の近くを散歩していたら、蝶がふわり、
思わず撮りました。


昨日の夜、テレビ番組で太宰治の特集がありました。
今朝も、テレビで太宰の紹介が行われていました。
明日19日は、太宰を偲ぶ「桜桃忌」。
今年は、生誕100年です。

作品『新郎』には、

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。
明日のことを思ひ煩ふな。
明日は明日みずから思ひ煩はん。
けふ一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。

聖書マタイ伝の言葉が、ここに響いてきます。

一日の苦労は一日にして足れり

太宰治は聖書をよく読んでいたそうです。

「明日のことを思ひ煩ふな。
明日は明日みずから思ひ煩はん」
いいですね。

「四季おりおり 文化の香り・さんぽ道」は、
「三鷹の文人たち」です。
どうぞご覧になってください。



| 香りの冒険者 | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
イエス−7  「西方の人」


芥川龍之介は、『西方の人』、『続西方の人』を書きました。

『西方の人』の1章・「この人を見よ」では、

わたしはやっとこの頃になって四人の伝記作者のわたしたちに伝えたクリストと云う人を愛し出した。


『続西方の人』の1章・「再びこの人を見よ」では、

クリストは「万人の鏡」である。略
たった一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。
わたしはわたしのクリストを描き、雑誌の締め切日の迫った為にペンを抛たねなければならなかった。略
しかしわたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけているクリストの姿を感じている。わたしのクリストを描き加えるのもわたし自身はやめることは出来ない。

『続西方の人』、末尾の言葉は次のようなものです。

我々はエマオの旅人のように我々の心を燃え上がらせるクリストを求めずにはおれないのでだろう。


今月の、聞香稽古は「香りにイエスを想う」ことです。
自分自身の中に、香りとともに見るものは・・・・・


6月15日の、「四季おりおり 文化の香り・さんぽ道」は、
「三鷹の文人たち」です。
どうぞご覧になってください。


| 香りの冒険者 | 10:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
イエスー6
 

故郷ガリラヤに戻ったイエスは自分とヨハネや洗礼運動との違いを確信する。
「イエスは荒野をあとにし、村や民衆と交わる。ヨハネは野生のイナゴと蜂蜜を食べ、粗末な毛皮の衣をまとっていた。ところがイエスは万人と同じ服装をし、宴会にも出席して“大食漢で大酒のみ”(マタイ11:19)とまで言われている。略
万人と変わらぬ生活を送りながら、イエスはヨハネよりも革新的だった。
ヨハネは罪人に回心と洗礼を勧めた。イエスはいっさいの条件をつけず、こうした罪人に会い、ともに飲み食いした。それは清め・俗界からの分離・聖性からなる既成の宗教制度全体を無視することだった。ここでもまた、彼は律法を相対化する。略
この新しいタイプの預言者は、人々に前代未聞の変化を求めることによって、根本的に社会全体、ひいてはその宗教的枠組みに至るまで問い直すつもりではなかったろうか?」
  ジェラール・ベシエール著・小河陽監修の『イエスの生涯』より

イエスが問い直したのは、社会全体!



| 香りの冒険者 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
イエスー5
 


「ティベリウス帝(在位紀元14年〜37年)の治世下、“洗礼者”と呼ばれる人々が増える。
宗教的な覚醒をめざすこの運動最大の人物が洗礼者ヨハネである。略
彼はイエスに洗礼を授け、イエスもまた洗礼者になった。イエスがその後、別の道を歩みはじめる前のことである・・・・・・」

「ヨハネは祭司の息子だった。しかし神殿との間に距離を置いていた。そして罪のあがないのために犠牲を捧げなくとも、神の赦しを得られると大胆に説いた。神の介入が近いのだから、彼にとっては儀礼も制度も相対的なものでしかなかった。いかに行動すべきかと悩んでいる人々に、彼はただ単に、分かち合いの精神、正直さ、他者への尊重を勧めた」
ジェラール・ベシエール著・小河陽監修の『イエスの生涯』より


ヨハネは道を開き、イエスは洗礼を授かったが、別の道を歩みはじめた。
それはどのような道だったのでしょう。

| 香りの冒険者 | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
イエスー4





『イエスとはなにか』(笠原芳光・佐藤研編 春秋社)の中で、跋において笠原芳光氏は、私見の一端をとして、
「イエスは紀元1世紀の直前、ガリラヤのナザレの手工業者であったヨセフと妻マリアの子として生まれた。そして父親から、その業を学び、父の死後は、その業を継いだと思われる。イエスの前半正はまさにホモ・ファーベル(作る人間)であった。しかし、さまざまな人生の苦悩によってか宗教に関心を覚えるようになり、生家を出て、洗礼者ヨハネ教団に入り、ホモ・レリギオース(信ずる人間)になった。しかしそのような宗教に安住することはできず、やがてそこを離脱して、自立し、ガリラヤの各地を民衆とともに遊行するホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)になった。その自由な生き方がユダヤ教団とローマ国家への反逆とみなされて殺害されたのである。イエスはもとより宗教家ではない。いわゆる宗教的人間という呼称も、かならずしも正当とはいえない。むしろ、遊行者ともいうべきな存在であった。遊行はきびしく、そして自己と他者に生甲斐をもたらす行為である。略
イエスはキリストとされたことによって、本来の人間像とその思想は少なからず変形され、また埋没されてしまったからである」

その後には、「キリストとして世界で最も有名な存在となったけれども、イエス自身は当初から今日に至るまで、依然として無名の人である」と。


若き日のイエスの苦悩とは・・・・・
キリストの名のもとに隠れてしまったイエスの人間像は・・・・・・




| 香りの冒険者 | 08:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
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