四季おりおりも最終回になりました。
どうぞご覧ください。
先週の土曜日には、10年来の仲間と芭蕉の「聞香・野ざらし紀行」の稽古をおこないました。
男性ばかりの会ですが、ゲストに「源氏物語」が大好きという女性の参加もありました。
そこで思わず、
富士川のところを強調してお話しをしてしまいました。
「富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の哀れげに泣く有り。
この川の早瀬にかけて、浮世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命待つ間と捨て置きけむ。
子萩がもとの秋の風、今宵も散るらん、明日や萎れんと、袂(たもと)より喰物投げて通るに、
猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに
いかにぞや汝、父に悪(にく)まれたるか、母に疎(うと)まれたるか。
父は汝を悪(にく)むにあらじ、母は汝を疎(うと)むにあらじ。
ただこれ天にして、汝が性の拙きを泣け。
富士川のほとりに風にゆれる小萩を見たとき、芭蕉は「源氏物語」(桐壷の巻)の桐壷帝の歌に想いをいたすのです。
母に死なれた幼い若宮(源氏)を哀れに思い詠んだ歌です。
宮城野の露吹きむすぶ風の音に
小萩がもとを思ひこそやれ
捨子を小萩にたとえた芭蕉。
それにしても捨子の運命を、すなわち人間の苛酷な運命をこのように書いたのです。
「露ばかりの命」といい、「今宵も散るらん、明日や萎れん」という。
そして、「ただこれ天にして、汝が性の拙きを泣け(これは天命だから、お前の運命の恵まれないのを泣くよりほかないのだ)」と。
捨子に対してこの言葉。
芭蕉よ、辛いではないか、といいたくなるが、これがこの世の姿ではないかと・・・。
現代の世でも日々起こっている現実・・・。
ニュースで伝えられる苛酷な現実は、今もよく似た事件が起こっています。
この捨子の話は、風に吹かれる小萩に見た芭蕉の幻夢か、創作!
でも人生の真実を伝えているのです。
そして、詩人に問いかけるのです。
「哀猿の声にすら断腸の思いをいだく詩人らよ。あなたがたは、秋風の中に命絶えんとして泣いているこの捨子の声を、何と聞くのか」(『芭蕉文集』新潮日本古典集成より)と。
まさに、現代の課題でもあります。
香の仲間たちも、「う〜ん」
芭蕉とはこういう男だったのか。
自分の住むこの世は地獄だと覚悟した時に、
現実を克服し、逞しく生きていく勇気がわきおことがあるのです。
そして、謙虚な心が生まれる。
香に聞いてみよう。
香は何と答えるだろう。