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12月の稽古:聞香・芭蕉
12月は毎年、「星の王子さま」を主題に聞香の稽古をしておりましたが、今年は芭蕉の「野ざらし紀行」にしました。
これは、蕪村、一茶、啄木、アルチュール・ランボーの流れの中で芭蕉にまた会いたくなったからです。
芭蕉の「奥の細道」はいままでになんども主題にして稽古しました。

今回は「野ざらし紀行」

貞享元年(1684)、四十一歳の芭蕉は野ざらしの旅に出ます。

その前には、門人の其角が西行が亡くなった二月二十五日に旅立ちました。

其角の旅立ちの句は

  西行の 死出路を旅の はじめ哉

このころ江戸の芭蕉の門人たちの間では西行はもっとも崇拝されていた人です。
西の浄土へ行くという号をもつ西行。
「死へ向かう人(西行)」と自ら名づけ諸国を旅した西行を慕って誰もが旅をしたいと思っていたのです。

芭蕉は、旅立ちにあたり、まず、

  野ざらしを 心に風の しむ身かな

と詠みました。

行き倒れて白骨になって死んでもいい、と覚悟しての旅立です。

さて、いかがなりますでしょうか。
そして、香は。


| 香りの冒険者 | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
あれから二週間
二週間前突然パソコンが立ち上がらなくなりました。
いまは修理に出ています。
その間、家族のパソコンを使うことにしました。
慣れてきましたので二週間前の続きを書きましょう。

ランボーの二つの詩の間に何があったのか、
「ぼくの放浪」と「地獄の一季節」の間にです。

詩人は、あらゆる感覚の、久しい、際限の無い、合理的な錯乱によって見者となるのである。あらゆる形式の恋愛と苦悩と狂乱。彼は己れ自身を探求する、己の裡にある一切の毒を汲み尽くして、その精髄だけを保存する。言いようのない苦悶、 ― その中で、彼は、全信仰を、超人間的な力の全部を、傾けなければならぬ、その中でこそ、彼は何人にも増して、偉大な病者、偉大な罪人、偉大な呪われ人、 ― しかも至高の識者となるのだ! 元々豊かだった彼の魂を、何人よりもよく養ったからだ!
        ポオル・ドゥムニイ宛の手紙  1871・5・15
      植谷雄高著・訳 「ランボオ素描」より

ランボーはランボオとも書かれますね。
ともかくランボーの有名な見者論です。
彼はこの宣言をした後、それを実践すべく大変激しい日々を過ごしたようです。
そして、そこからの脱出のために、「地獄の一季節」を書くことになります。

新しく生まれ変わるランボーは、

ところで、まだ前夜だ。生気と真の愛情の流れ入るのをくまなく受け入れよう。
夜明けに、おれたちは、焼けつくような忍耐で武装して輝く町へ入ってゆこう。略
やがておれには、
魂と精神の中に真実を所有することが許されるだろう。
                   
        1873年4月ー8月
        高橋彦明 訳


聞香・ランボーでは、香は五つ。
香はいさぎよい香りでした。

仲間は、焼けつくような忍耐で武装してに感じ入ったようでした。
そして、以後ランボーが抱きしめて生きた、ざらざらした現実にも。

香に聞いた後、仲間から歌が一つ

   あふれでる 言葉の海に おぼれかけ
     はい上がりしは 忍耐の丘

                    淑子

| 香りの冒険者 | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
冬へ
日本文化藝術財団「四季おりおり」は“冬へ”です。ご覧になってください。
四季おりおり

今日の午後は麹町で稽古でした。
主題は、聞香・アルチュール・ランボー。

夜は「TOKYO FM atre ライフソムリエ」。
こちらもどうぞ。 
【TOKYO FM atre ライフソムリエ 村田睦】

お話したものに補足して、以前に雑誌に書いた原稿をここにも載せておきましょう。

雑誌『自分時間』掲載:「香りに出会う、人に出会う、和の心」

 香道という言葉は知っているけれども、一体どういうものなのか。体験したいと思うが、その機会もないし、それになにか格式張っているようで少々気後れする。
しかし、香しい男にもなってみたい。
そういった人のための“深香如意(しんこうにょい)”。深く香りに聞いて意のままに生きよう。そう思えばもうあなたは“香りの冒険者”である。

「どうもあなたはむいている」との一言で香炉を持つようになった。
香しい男にでもなりたいと思ったのかもしれない。最初は右も左もわからぬ道、かえってそのことがよかったみたいだ。すべてが新鮮。

ある朝、目覚めて天上を見つめ考えた。なぜ鼻は顔の真ん中にあるのか。耳の位置にあってもいいし、肩にあってもいいんじゃないか。
考えること数日、判明した。嗅覚は五感のアンテナなのだ。
身体の内と外は呼吸でつながっている。危険なものが入ってくるやいなや匂いでわかる。
すぐさま、五感をたたき起こし、危険から回避する。

また、安全でえもいわれぬ良き香りは五感を喜ばせ、脳の細胞を活性化する。
それも、ゼロ・コンマ2、3秒の速さだという。

 最近なにか憂鬱だ。世の中暗いなあ、と思うようになったら、要チエックだ。
毎日香りで自分の健康度を点検する人がいる。よく香りが判別できたら健康、よく判別できなかったらどこか弱っている。
香道ではこの香りを判断することを“香りに聞く”という。ここが重要だ。嗅ぐのではなく“聞く”。そして、「を」ではなく「に」だ。それを「聞香(もんこう)」という。

大いなる自然の恵みである香木の香りに融けあうには、「に」の精神が大切なのだ。
初心者の頃、香の先輩に尋ねた。『聞香』というのは、と。「私も若い頃、お尋ねしたの、先代の家元に」。そのとき、目は潤みはじめていた。「おやさしかったわ」、遠いところを見つめるように「そう、香りに聞くんだよ、とおっしゃったの」。
 その時、なにかが胸の奥ではじけた。言葉では伝えきれないものがある。それがそのことだ。先輩の声の抑揚、表情から、トータルに伝わってくるもの、泪とともに。
直感した。大切なのは受け入れるという心だ、すべてを。自我を捨て無垢の心で、“香りに聞いていく”。そうしなければ、大切なものは聞こえてこないのだ。

 この心を実践されている人がおられた。8年ほど前、香の会を開催していたときのこと、「聞香の心は私たちの理念と同じに思えます。それは“心耳を澄ます”ということです。
見えないものを観る、聞こえないものを聴く。その気持ちで全職員が心をあわせ、医療に携わっています。目に見えない患者様の心の痛みや辛さ、それを感じとる心がいかに大切かを日々話し合っているのです」
 情熱家は香りの冒険者、果敢に行動する。副理事長を務める病院に香道室を設けた。車椅子もそのまま入れるようになっている。
併設の介護老人保健施設で「香の会」が開催されるようになった。

 香炉が廻りはじめると、世話をしておられる人が飛んできた。「感動です。この何年来お世話をさせて頂いているお年寄りの方が何かを言おうとなされ、声を出し香炉を持とうとされたんですよ。こんなことははじめてです」と涙ぐんで話された。
そばで、すごく元気で陽気な声がした。「お母ちゃんのお乳の匂いがする~」。一気に何十年かを飛び越えて懐かしい母の懐に抱かれた方もおられたのだ。本当にニコニコして、こちらも笑顔を返した。

私は今、仲間たちと物語る香り、“聞香・心の旅”を楽しんでいる。「源氏物語」や「平家物語」、「西行」、「芭蕉」などを香りに聞く。「星の王子さま」もだ。
男性陣に圧倒的に人気なのは「信長・夢幻香」だ。しかし、「源氏物語」もまんざらではない。「もっと早く知っていたらなあ、源氏を」「どうしてですか?」「いやぁ、結婚生活がもっとうまくいっていただろうになぁ」。

先人たちは多くのことを残してくれた。豊かな遺産だ。どう生かすかは、私たち次第。真実を心に持ち、よく生きよう。
かの名探偵シャーロック・ホームズ曰く「優秀な探偵には、少なくとも75種の香りの知識が必要である」と。彼は香りの知識で犯人を見い出したが、私たちは香りによって何を見い出すのでしょうか。

今夜は、一緒に香に親しんでいる仲間に感謝です。
そして、「TOKYO FM atre ライフソムリエ」の皆様、ありがとうございました。


| 香りの冒険者 | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香・アルチュール・ランボー
15日からの日本文化藝術財団「四季おりおり」は“冬へ”です。ご覧になってください。
四季おりおり

昨日は、ランボーを主題に聞香を楽しみました。
明日もランボーで稽古です。
ランボーを主題にすることは彼の精神のみならず、西洋の精神に立ち向かっていかなければならないことがよく分かりました。

それに聞香のこと、香道の組香のことがよく理解できました。
主題の心が心身に入っていない場合は香りも良く聞くことが出来ないということです。
香りは主題に寄り添って感じられていくものですね。
「十炷香」はすこし違うと思います、これは香りとの感覚、肉体、頭脳の勝負です。

今回、いままでにランボーの名前も聞いたこともなければ、西洋の詩を読んだこともないという仲間にとっては大変戸惑うことになった聞香稽古でした。
それでもめげず挑戦です。

この稽古の体験をゆっくりと書いていきたいと思います。

では、少しランボーの詩を。
初期の韻文詩を、高橋彦明訳です。

ぼくの放浪

ぼくはでかけて行った、破れたポケットにげんこつをつっこんで、
外套もおあつらえ向きになった。
ぼくは大空の下を歩いて行った。詩神よ! ぼくは君の忠僕だった。
ああ! 全く! 何と素晴らしい愛の数々をぼくは夢みたことだろう!

ぼくの奇抜なズボンには大きな穴が一つあいていた。
― 夢みる親指太郎みたいに、ぼくは歩きながらぽつぽつと詩の韻をひねっていた。ぼくの宿は大熊座。
― 空に光るぼくの星たちはやさしくひそひそ囁いて

道ばたに腰かけて、ぼくは星の話を聴いていた。
あの九月の素晴らしい夜に、ぼくは精をつける酒のように額にしたたる夜露を味わっていた。

不思議な影たちに囲まれて韻を踏み、
ぼくは、竪琴みたいに、胸のあたりまで片脚を持ちあげて、破れた靴のゴム紐を引っぱっていたのだった!


この「ぼくの放浪」に比べ、次の「地獄の季節」の一節はいかがでしょう。

冬の夜々、宿もなく、衣食もなく、諸街道を徒(うつ)り行き、俺の冱てついた心は一つの声に締められた。「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がそうしている、それが貴様の強みじゃないか。貴様は何処に行くのかも知りはしない、何故行くのかも知りはしない、ところ構わずしけ込め、誰にでも構わず返答しろ。貴様がもともと屍体なら、その上殺そうとする奴もあるまい」夜は明けて、眼の光は失せ、顔には生きた色もなく、行き会う人にも、この俺を見たものはなかったろう。
                (小林秀雄訳)

以前、僕なりの放浪をしていた頃の精神状況が思い出されます。
「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がそうしている、それが貴様の強みじゃないか」
とか、「貴様がもともと屍体なら、その上殺そうとする奴もあるまい」

なぜか勇気付けられた言葉なのです。

この二つの詩の間に何があったのでしょうか。
次回に書いていきたいと思っています。

| 香りの冒険者 | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
昨夜の「atre ライフソムリエ」
昨夜はTOKYO FMの番組「atre ライフソムリエ」で香りについてお話をしました。
パーソナリティは村田睦さんです。
素敵な進行でとても楽しいひとときを過ごすことができました。
村田睦さんありがとうございました。

そこで思い出した香道についての原稿をここに載せてみます。小原流いけばなの機関紙『挿花』に掲載させていただいたものです。

来週の土曜日15日には20:00〜20:30に2回目の放送があります。
【TOKYO FMatre ライフソムリエ 村田睦】もご覧になってください。

小原流『挿花』
“この幽玄なるもの・香りの日々”

シャーロック・ホームズ曰く「優秀な探偵には、少なくとも 75種の香りの知識が必要である」と。
彼を香道の席に招待すればすべての香を聞き分けるのでしょうか。
香木がもつ優しく幽玄な香りは、自然の大いなる恵み、心の癒しです。彼ならきっと香道を好きになるだろう、などと考えながら銀座通りを横切り、ニコンサロンへ。

ヒマラヤの麓、ムスタン王国を取材した写真展。知人の写真家が香の焚かれた会場に、 数珠を身につけて立っていました。 「ムスタンでの最初の朝、目覚めると目の前で煙が濛々(もうもう)としていてね。火事かと思って飛び起きたよ。それが香を焚いていたんだ。 ムスタンでは、一日が、香で清め、祈る事から始まるんだね」。

人の生のあるところ“香り”在りです。 仏教原点の地・ヒマラヤの麓に香あらば、日本にも仏教と共に 香が伝来。
聖徳太子は淡路島に漂着したという“香る木:沈香木”の香りで 瞑想し、“和による救い”を願っておられたにちがいありません。
鑑真和上がお伝えになった練香も、華麗な薫物(たきもの)として 紫式部は楽しんでいたことでしょう。
源氏物語は「大殿のあたりのいひしらず匂い満ちて、人の御心地 いと艶なり」と空薫(そただき)の心を伝えています。
衣服に移香、 部屋に空薫、男女の恋の場面に香が登場するようになったのはこの 頃です。

幽玄なる一木の沈香を愛するのは武士たちの時代。 バサラ大名・佐々木道誉は名香を集め、足利義政が続きます。
三條西実隆と志野宗信は名香の芳香と和歌を結び付け、香道に至ります。
これこそ、香を愛する者の究極の情熱、聞香(もんこう)の始まり です。
心の道、精神の極み。一息一息、心を静め、香りに命を照らして聞くのですから。

1574年3月、織田信長はお供の御馬廻のまえで、正倉院に伝わる名香木“蘭奢待(らんじゃたい)”を、一寸八分切り取ります。この剛毅な男も馬尾蚊足(ばびぶんそく)の小さく細く割った香木で香に聞きいっていたのでしょうか。
その時、宗易:千利休も同席していたかも知れません。 利休を慕った芭蕉は『野ざらし紀行』の一節に記します。

  蘭の香や蝶のつばさに薫物す

江戸時代には香は広く親しまれ、庶民の間にも香のたしなみがゆきわたったそうです。春が近づいたことを野に咲く花の芳香で気づいたという古人たち。
現代は香りを生かし、快適な環境づくりを目指すアロマコロジー が注目されています。いつの時代にも、自然を大切にする心を失わず、香りに満ちた豊かな日々を送りたいものです。
             
            *

 先日、香道をたしなむ友人が、はじめて香元をつとめるというので出かけてみました。愛らしいお手前で、微笑ましく、香も豊かに香っておりました。 少女の頃、よく遊んだ夏の草原、その夕暮れの思い出を三種の香木で表現したかったそうです。正客からは「今年一番のいい思い出になりました」とお褒めの言葉がありました。 今日も彼女の部屋には素敵な香りが漂っている事でしょう。

| 香りの冒険者 | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
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