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第二回たまゆら「香の會」 聞香・黒髪



第二回 たまゆら「香の會」が催されます。


日時は、この土曜日、11月3日の14:00。
場所は、衣知会<萌・日本橋本店 10階>です。(地下鉄・浜町駅徒歩3分 人形町徒歩5分)

また、11月10日(土曜日)には、17時30分より向島百花園内 御成座敷で催されます。

 
 今回は、地唄「黒髪」を吉村ゆら(上方舞 吉村流師範)さんが杉浦 聰さんの演奏によって舞います。
 その後、同じ主題で香席が行われ、香りを楽しむことになりました。


主題である「黒髪」は、
 
 黒髪の結ぼれたる思いをば
 解けて寝た夜の枕こそ
 ひとり寝る夜の仇枕・・・略
 ゆうべの夢の今朝さめて
 ゆかしなつかしやるせなや
 積もると知らで 積もる白雪



この曲は、雪の積もる静かな夜、片袖を夫に見立てて独りさびしく寝る女性の思いを、黒髪によせて濃艶にうたったものです。


出香する香木はもう選びました。艶なる香りを・・・。

さて、どのような香りにつつまれるでしょうか。



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| 香りの冒険者 | 10:31 | comments(0) | - |
気力あふれる「聞香・臨済」稽古
気力

昨日の稽古はみんなの気力があふれていました。
むなぐらをとって「さあ言え!、さあ云え!」という感じです。

出香する香にそれぞれ名前をつけてもらいました。
つけられた出香名は「人惑」、「十方通貫」、「六根」、「大丈夫」。
みんな凄い名です。

証詞は、

「 問、如何是佛魔 」(如何なるか是れ仏魔)
 
“問う、
「仏と魔とはどんなものですか。」
師は言った。
お前に一念の疑いが起ればそれが魔である。
お前がもし一切の存在は生滅をこえたものであると見究め得たならば、
差別する心は幻のようなものとわかり、十方世界に塵一つなく、
どこもかしこも清浄になる。
それが仏である。
もともと、仏と魔とは、一心の悟りと迷いの両面である。”(『臨済録』朝比奈宗源)


香りが立ち上がりました。
驚きです。

名と一体化した香りがまわっていったのです。
思わずメモをとってしまいました。

人惑もこころ十方通貫せば 六根清浄大丈夫なり


“わしの見解で言えば、仏も無く衆生も無く、過去も無く現在も無い。気がついてみればみなそのままで仏である。仏に成るために手間暇ははかからない。修行すべきものも無く、悟るべきものも無い。得たということも無く、失うということも無い。朝から晩まで晩から朝まで自己一枚だ。
たとい、なにかこれに勝るものがあるとしても、わしはそんなものは夢か幻だと断言する。わしの説くところには少しのまやかしも無い。
お前たち、現に今ここで、何の助けもかりずにはっきりとわしの話を聞くもの、この「人」こそいかなる境界に行っても少しも滞らず、十方に通貫して、三界に自由なのだ。
どんな差別の境界に入っても少しも影響されない。一刹那の間に、あらゆる世界に入り、仏に逢えば仏、祖師に逢えば祖師、羅漢に逢えば羅漢、餓鬼に逢えば餓鬼と一体になって自由に説法し、いろいろの世界に遊行して衆生を教化しても決して現在の一念を離れない。いたる処、浄らかであり光明は十方に輝き、万法と一如である。”(『臨済録』朝比奈宗源)

聞香の心は十方に通貫して、三界に自由なり、
一刹那の間に、あらゆる世界に入る。
香りは浄らかであり光明は十方に輝き、万法と一如である、
といきたいものです。



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| 香りの冒険者 | 12:25 | comments(0) | - |
聞香・臨済への想い:朝、目覚めたら・・・



今朝、目覚めて本(柳田聖山著『禅思想』)を読んだら、次のような言葉に出会った。
 
「眠っていたから、目覚めたのである。眠らなければ、目覚めることもない。それがほんとうの目覚めである。目覚めることすら不要の目覚めである」

うむ・・・

「大覚といい、正覚というのは、そんな目覚めのことである。アヌッタラサンミャクサンボーデイ、訳して無上正遍道とよばれるのも、そんな境地のことであろう。そこでは、道とすらいうこともいらない。道はつねに、どこかにゆく道である。ここではすべて道であって、どこかにゆくということがなくなっている。
中国の古典は、これを至道といい、大道といっている」

うむ・・・まえにもどって・・・

「ブッダは、中国の言葉で覚者と訳される。目覚めはすでに眠りを前提とする」


うむ・・・カーツ・・・聞香



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| 香りの冒険者 | 12:25 | comments(0) | - |
聞香稽古:心と香り
sei晟聴


明日も臨済義玄の言行を主題にさせていただいて聞香です。

臨済は言います。

道の仲間よ、心というものはきまった姿がなくて、十方にゆきわたっている。眼に働くと見るといい、耳に働くと聞くといい、鼻に働くと匂をかぎ、口に働くとものを言い、手に働くとものをつかみ、足に働くと歩きまわる。
もともと一つの活力が六つの機能に分かれるのである。心が起こりさえしなければ、どこででも解脱できる。

心はもはや、身体の奥にひそむ神秘な何ものかではない。つねに堂々と眼前に現用して、一瞬も汝を離れぬ。 (柳田聖山著『禅の思想』より)


心が鼻に働いて聞香! そして、「人の心は無数の花をひらく」


明日の稽古では、どのような花がひらくだろうか。

 
 
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| 香道 | 19:35 | comments(0) | - |
木曜日の幸せな体験:眼耳鼻舌身意の六根・その食のよろこび


 この木曜日、ホンモノ委員会 by グルメ デ ノード(この世の中でホンモノと言えるものを探し求める委員会)で美味なる時間を過しました。

今回は“食”。

テーブルをはさんで坐られたAさんから、今宵味わう食材の話がどんどん飛び出します。
それは、楽しい“たべもの物語”となってぼくの脳裡を駆け巡るのです。
食べる前にこんなに魅惑的な食材の話を聴くと、もう、これから目の前に並ぶであろう美味なるものに全感覚が立ち上がってきます。

 オードブルがテーブルに・・・。
 
オードブルから上品で柔らかな味にうっとりです。
のっけから「食の幸福論」を書きたくなるような気配です。

「刺身たらことカマンベールのパテ」と「数の子のいそべ」、どちらも美味。薄味のたらこは新鮮ならばこそ生み出されたもの、カマンベールのパテと組み合わせは深くかろやか・・・。
「数の子のいそべ」は優しい甘味があふれ、香りのでいえば、最初から伽羅(きゃら:香木の最高品質)でおもてなしか、と感じました。
 
 そうして、次から次へと美味なるものが舌の上にのせられていきました。
 そうすると身のうちから幸福感がわきあがってくるのです。
 かぎりなくいのちに近い食材と、それを最良の心使いによって料理されたご馳走を食することの幸福感。
こういった食材を獲得し生み出し提供してくださった方々に感謝です。
  
 それは、眼耳鼻舌身意の六根全部を楽しませてくれる食のひとときでした。
 これこそホンモノの証拠でしょう。

 
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| 香りの冒険者 | 20:41 | comments(2) | - |
10月8日夕方、臨済の空



夕方の空は、聞香稽古の主題『聞香・臨済』の言葉のようだった。

随処清浄にして光十方に透り、万法一如なり
朝比奈宗源『臨済録』




無古無今


 
 
仏と魔とは是染浄のニ境なり

香りは如何に・・・



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| 香りの冒険者 | 21:51 | comments(0) | - |
10月稽古:聞香・臨済
写真・晟聴

香木の香りは、香炭団の火力の強さ弱さは勿論、部屋の湿度によっても、また、聞くほうの心の持ちようによっても様々に感じられます。


10月の聞香稽古主題の証詞は、

「 問、如何是佛魔 」(如何なるか是れ仏魔)
 
    朝比奈宗源『臨済録』によると、
問う、
「仏と魔とはどんなものですか。」
師は言った。
お前に一念の疑いが起ればそれが魔である。
お前がもし一切の存在は生滅をこえたものであると見究め得たならば、
差別する心は幻のようなものとわかり、十方世界に塵一つなく、
どこもかしこも清浄になる。
それが仏である。
もともと、仏と魔とは、一心の悟りと迷いの両面である。



写真・晟聴


香炉に銀葉を、そして、一片の香木が・・・


香りに包まれ、

  “十方に通貫して、三界に自由”
  “一刹那の間に、あらゆる世界に入り”

 そして、その先へ入ってみたい・・・


     
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| 香道 | 10:30 | comments(2) | - |
10月の稽古
写真・晟聴

10月の稽古は「聞香・臨済(りんざい)香」。
臨済は中国の禅者です。その言行を記録した『臨済録』というものがあります。
以前から、この『臨済録』に目をとおすと身心が爽快になるのです。

この2日に、向島百花園で足利義政の人生を主題に『聞香・東山』を楽しみました。
義政は文明十七年(1485)六月十五日、洛北嵯峨の臨済宗天竜寺派臨川寺の三会院で出家しました。義政は臨済宗の僧として得度したのです。
ドナルド・キーンの著書『足利義政』によると、「寛政五年(1464)、義政は『臨済録』の十五回にわたる提唱を聴聞したことがあった。しかし、聞いたことが何一つわからなかった、と後で正直に告白している」とあるのです。
寛政五年とは、義政二十代の後半ですね。
う〜む。香りに聞いてみよう。
臨済の言葉を。
香りは強力な味方だ。

主題の証詞は、
「 問、如何是佛魔 」(如何なるか是れ仏魔)
 
    朝比奈宗源『臨済録』によると、 
    問う、
    「仏と魔とはどんなものですか。」



 香組は、というと、とても楽しい組み方を考えました。
 楽しみにしていて下さい。


撮影・晟聴
 

「禅の影響は、義政にとって文化的、芸術的に計り知れないほど重要なものだった」ドナルド・キーン著『足利義政』   

 

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| 香道 | 20:59 | comments(0) | - |
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