昨夜の月は煌々としていました。
月を見ようとすると、いつも月から見られているような気がするのはなぜでしょう。
今夜は見えません。
雲の上の月はどんな表情をしているでしょうか。
想像するのもまた一興です。
芭蕉の一句
月はやし梢は雨を持ちながら
桃青
『鹿島詣』の中の句ですが、仏頂和尚の問いかけにこたえたもの、
和尚は、
をりをりにかはらぬ空の月かげも
千々のながめは雲のまにまに
と吟じて、これいかに
芭蕉はこたえるに、「月はやし」である。
雲間を疾走するかのような真如の月の光でこたえた。
さすがですね。
本来、天空に同じ光を放っている月も、雲の変化によってさまざまに見えます。
そうだなあ、迷いの雲には気をつけよう。(参考文献:『芭蕉文集』新潮日本古典集成)
今月の、聞香稽古の主題、与謝野晶子の「月」はいかに、
こほろぎが銀の糸をば引き出だす
月夜の空と思ひけるかな
こほろぎが月から引き出す銀色の糸のような光、あなたは見られたんですね。
どんなことがあっても、空は美しく澄んでいたんだ。(参考文献:『与謝野晶子』松平盟子著)
しかし、月は、いつも思い出させてくれる、足利義政の歌を・・・
くやしくぞ過ぎしうき世を今日ぞ思ふ
心くまなき月をながめて
10月2日に、向島百花園でお江戸睦「香の会」が催されます。
主題は『聞香・東山』。
義政のこの歌を証歌として香りに義政の心を聞くのです。
さて、この「くやしさ」は・・・
この「くやしさ」、「うき世」と「心くまなき月」は、ことによったら遠くのとおくまで、ぼくの心を連れて行くかもしれない。
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