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竜ゴン君、『法華経』を唱え、聞香の意味を考える。
竜ゴン晟聴・画

竜ゴン君が『法華経』を唱えはじめました。

是人鼻清浄 於此世界中
若香若臭物 種種悉聞知
・・・略
持是法華者 聞香悉能知

「この人の鼻は清浄にして この世界の中において
若しくはか香ばしき若しくは臭き物 種種悉く聞ぎ知らん。
・・・略
この法を持つ者は 香を聞ぎて悉く能く知らん」


これは、と聞くと。

「『法華経』の法師功徳品の一節だ。


聞香悉能知


香を聞ぎて悉く能く知らん


清浄になった香りの感覚は、あらゆる香を聞き分けていくんだ」

そして、人にも香がただよう!


くるま晟聴・画         

来月の聞香稽古主題は、香が大好きだったといわれる紫式部の『源氏物語』にしようと思います。

平安時代には『法華経』は、広く社会に受け入れられていました。お経といえば、『法華経』をさすほどだったようです。

多くの女性たちにも親しまれ、『法華経』の読受供養や法華講などが催されたことが『源氏物語』には出てきます。

そうなんだ。提婆達多品(だいばだったほん)の章では俺たちの親戚、“竜王のむすめ・竜女”が女人成仏できるところが説かれるんだ」と言って、また、しずかにお経を唱えました。

「・・・皆、遥かに彼の竜女の、成仏して普く時の会の人・天のために法を説くを見、心、大いに歓喜して悉く遥かに敬礼せり・・・」(『法華経』岩波文庫)

『法華経』は、女性の大いなる味方なんです、それだけではなく、この世のあらゆる命の!
そうでしょう、宮沢賢治さま。


では、では、来月は葵上や六条御息所、若紫の姫君、そして、光源氏との出逢いを楽しみましょう。 ねぇ、竜ゴン君。



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| 香道 | 19:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
竜ゴン君の聞香
竜晟聴・画

竜ゴン君は記憶の海から『妙法蓮華経』を思い出しました。
妙法とは、この宇宙の森羅万象のすべてをあらわしているとのこと。

いま、手元に実重重実(さねしげしげざね)著『森羅万象の旅』という愛読書があります。
その帯には次のような言葉が書かれています。
「 生命の旅は、
  驚きに
  満ちている。

科学の目、哲学の目、日常の中で感じる目、すべての目を通して、細胞から宇宙まで、生命の景色の中を案内します。

今、私はこの部屋にある幾つかの鉢植えの植物とともに、呼吸している。この部屋の中にうごめく、そして、私の体内に棲む何兆という細菌たちとともに生命活動を続けている。そして部屋の外には樹があり、その頭上には大気がある。そこから更に樹々は連なり、大気もまた空へと連なっているし、地中には樹々の根や昆虫、微生物が無数に生息している。
今、この瞬間を地球上のあらゆる生命が共有している」

 写真・晟聴

今、庭の紅梅も美しく咲き、馨しく香っています。

春がめぐってきて花が咲き、秋にになると紅葉が目を喜ばせます。
その自然のすがた、ありようがあらゆる法(真実)の実相なのでしょう。

鎌田茂雄著『法華経を読む』に、「“柳は染む観音微妙の色 松は吹く説法度生の声”という歌があるが、柳の色も松風の音も、夏暑いのも冬寒いのも、みな妙法の顕現にほかならない」とあります。
 そして、「『法華経』の教えを蓮に喩えるのは、美しいもの、清浄なるものは、汚れたもののなかからこそ、その清らかさをあらわすことをいう。われわれの人生は生まれてから死ぬまで、現世の汚濁の真っ只中にのたうちまわって生きなければならないが、この汚濁のなかにいるからこそ、美しいものを生み出すことができるのである」とあります。

香木の香りも森羅万象の中にあります。
私たちも・・・。


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| 香道 | 17:21 | comments(2) | trackbacks(0) |
<リュウゴン>君の聞香(もんこう)話
りゅう晟聴・画


先日、俺は<リュウゴン>だ、と名乗る“竜”がやってきました。


「俺を知ってるかい」と、ちょっと怖い顔で言いました。


ああ、知ってるよ。水中でも、地中でも、大空でも、どこでも自由自在にかけまわる、あの竜だろう。大きさも、小さなごま粒のようにもなれるし、空を覆うような大きさにもなれる。目は鬼、爪は鷹、手の甲は虎だろう。


「もういいよ。わかっているんなら・・・。そもそも俺たちは、君たち人間の想像力によってこの世に存在するようになったんだからな。すこしは面倒見ろよ」とちょっとくだけた表情になりました。




ryuu晟聴・画


ところで、何しに来たの。

「聞きたいことがあるんだ。巷では最近、聞香(もんこう)とやらが流行っていると聞いたんだけどね」


えっ、それ、どこの話! 


「いや、天上界では評判でね。十二支の仲間で聞香をやってみようということになって、俺が代表で話を聞きに来たんだ」

うむ。

「ところで、“聞香”とは?」

それは天に住む君のほうがよく知っているだろう。

「いやいや、俺はヨーロッパで生まれ育ったんだ。
ダカラ、<リュウゴン>ナンダ!
親父は、高貴なドラゴンでね、日本から来た母と出会って結婚したんだ。だから、まだまだ、天上界や東洋のことはあまり詳しくないんだ」


わかったよ。
中国や日本では、香をたいて、香りをかぐことを「香りに聞く:聞香」というけれども、
心をこめて天に祈りをささげ、願いを聞きとどけてもらうということが語源のようだよ。

僕は思うよ、聞香の素晴らしさは、香りにつつまれ、この宇宙の森羅万象と共に生きる喜びを自覚する楽しさだと。


「うむ、中国は母の祖先の故郷だ。随分昔に日本に来たようだけれど・・・。
いつごろから“聞香”という言葉は使われてるのかな?」


いつごろかと聞かれるとよくわからないけど、紀元1世紀ごろからまとめられていったという仏教の経典「法華経」というのがあってね。その漢訳(5世紀頃)には、“持是法華者 聞香悉能知”(この法華を持つ者は香を聞きて悉く能く知らん)とあるよ。


「おおお!思い出してきた。身体の奥底の記憶の海から・・・、香りに聞こうと考えただけで記憶の海が波立ってきた・・・。それは、《妙法蓮華経》だろう。」


そうだよ、鳩摩羅什(くまらじゅう)という人が漢訳したんだよ。


「うん、白蓮のような清く正しい教え、ということだ、それは・・・」



と言うわけで、竜ゴンくんと友だちになりました。




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| 香道 | 13:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゴッホとドラクロア、そして聞香
ドラクロア1『芸術新潮』、最後の「ゴッホ展」より
フィンセント・ファン・ゴッホ・画「善きサマリアびと(ドラクロアによる)」 1890 油彩 クレラー=ミュラー美術館

小林秀雄著『ゴッホの手紙』によれば、
「ゴッホは、ドラクロアについて書いたT・シルヴェストルの言葉が好きだった━<偉大なる民族の画家、頭には太陽を持ち、胸には嵐を持ち、その筆は、戦士より聖者に、聖者より恋人に、恋人より虎に、虎より花に至る>

彼は、いま、頭に太陽を持ち、胸に嵐を持って、アルルの野に立つ」

以前、聞香稽古のとき、「香炉の中には嵐がある」と書いたのを思い出しました。

「自然は、この画家の精神の緊張によって荷電したように動きはじめ、その生成の劇を露にするようだ。・・・略 
<自然がじつに美しい近ごろ、ときどき、僕は恐ろしいような透視力にみまわれる。
僕はもう自分を意識しない、絵はまるで夢の中にいるような具合に、僕のところにやって来る>・・・」

自然の恵みである香木の香りは、真に美しくやって来ることがあります。

そして、聞香(もんこう)の主題は、そう、「戦士より聖者に、聖者より恋人に、恋人より虎に、虎より花に至る」のかもしれない。

また、その主題は、「人間はどんな隅々までも、どんな深さまでも、見透かすことができるのだ、たとえ、色彩の段階がどんなに深かろうと」

「自然が人間に連結するのは、感覚や観念によってではない、生活を通してだ、彼の言葉で言えば《手仕事》によってである」

香炭団を灰に活け、香炉をととのえ、手の中に持つ、背筋を真っ直ぐ伸ばし、顔の正面で香りをうける。

画・晟聴晟聴・画 「香炉」

ゴッホは言う、「日本の芸術を研究していると、賢者でもあり哲学者でもあり、しかも才気煥発の一人の人間が見えてくる。今日、彼はどういう生き方をしているか。地球と月との距離を研究しているか。ビスマルクの外交政策を研究しているか。そんなことではない。彼は、ただ草の葉の形をしらべているのだよ。しかしこの一枚の草の葉から、やがてすべての植物を描く道が開かれる、それから季節を、田園の広い風景を、動物を、人間を。彼の生活は、こうして過ぎていく。略・・・
みずから花となって、自然の裡に生きている単純な日本人たちが、僕らに教えるものは、実際、宗教と言ってもいいではないか。僕は思うのだが、君がもし日本の芸術を研究するなら、もっと陽気に、もっと幸福にならなければだめだ。僕らは、紋切型の世間の仕事や教育を棄てて、自然に還らなければだめだ。・・・僕は日本人がそのすべての制作のうちに持っている極度の清潔を羨望する。けっして冗漫なところもないし、性急なところもない。彼らの制作は呼吸のように単純だ。まるで着物のボタンをかけるとでもいう具合に、僅かばかりの筆使いで、いつも苦もなく形を描きあげる。ああ、僕もまたいつかは、そんな具合に、描けるようにならねばならぬ」

僕たちは、なんと遠くに来てしまったのか・・・。


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| 香道 | 18:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
『つるにょうぼう』
鶴女房
『つるにょうぼう』矢川澄子・再話 赤羽末吉・画      福音館書店

絵本『つるにょうぼう』を楽しく拝見しました。

この昔話に登場する「つる」とは、いったい、私たち人間にとってどういう存在なのでしょうか。

今月の聞香稽古の席で、香りはそのことを伝えてくれるかもしれません。

“つるにょうぼう”が自らの羽を抜いて織る布地は、「美しく、やわらかく、ほのかなかがやきをおびてさえ見えました」と語られているように、香木も美しく、やわらかく、ほのかなかがやきをおびて香ってくることでしょう。

つる女房『つるにょうぼう』矢川澄子・再話 赤羽末吉・画 福音館書店  表紙画の部分

全身で香木の美しさに感動してみよう。

「感動」とは、字のとおりに「感情」が動くことだ。
また、新しい「美しさの体験」が出来るだろう。
香木に「豊かに感ずる事」を学ぼう。

そうすれば、「つる」は人間にとってどういう存在であるかを感じ取れるだろう。

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| 香道 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
2月の稽古は、『夕鶴』
夕鶴2seicho

今月の聞香(もんこう)稽古の主題は、木下順二氏の戯曲『夕鶴』です。
この戯曲は作者自身も「魂のふるさとのなつかしさを本能的に感じ、・・・」といっておられるように、昔話『鶴女房』から素材をとられています。
そこでは、日本人の最も素朴な感情がいきいきと表現されているのです。


『夕鶴』を主題にして、主人公・つうの心を香りに聞いてみたいと思ったのは、昨年、朝日新聞の「天声人語」を読んだときでした。
そこには、ハッとするようなことが書かれていました。
おもわず目頭が熱くなっていました。

引用させていただきます。


「傷ついた鶴だった自分をすくってくれた与ひょうのため、つうは羽根で美しい布を織る。しかし与ひょうは、悪い男にそそのかされ、布を売って金もうけに走る。
相手を愛そうと布を織ることが、相手を自分から引き離してしまった」

そうなんですね、


相手を愛そうと布を織ることが、

相手を自分から引き離してしまう

のですね。


そして、
「この自作の戯曲『夕鶴』に、ドラマというものの本質が含まれていると、木下順二さんは述べた。

“自分が最も望んでいることをしよ

うとする、その行為そのものが、

自分の最も望んでいないものを生み

出す”」


矢を射られて苦しんでいた鶴を救うために、矢をぬいてやった与ひょうのところに、美しい嫁が来る。それが恩返しのために来た鶴だったのです。
鶴の名は、「つう」。

なのに、つうは、次のように叫ばなくてはいけなくなってしまった・・・ 

「とうとうあんたがあの人たちの言葉を、
あたしにはわからない世界の言葉を話しだした・・・
ああ、どうしよう。どうしよう。どうしょう」


つうと与ひょうの物語に香りは何を伝えてくれるでしょうか。


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| 香道 | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香稽古(もんこうけいこ)
月の絵seicho



昨夜の月は煌々として天空に浮かんでいましたね。

ふと、想いました。

千年以上も前に、透徹した月を見ながら、都の片隅で「かぐや姫」の物語をひたすら綴っていた一人の男がいたんですね。

彼の脳裏には何が浮かび、どのような感情の嵐が吹いていたのだろうか。
それを知るには、彼の筆の跡をたどりゆくしかない。




昨夜は、聞香稽古でした。
主題は「竹取物語」。
稽古は五人で香りを楽しみました。

日本の文学にも造詣の深い神父さまも参加されました。
長く日本におられるそうです。
「源氏物語」をよく読まれ、お詳しそうでした。


おもてなしの香木は、伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、佐曽羅(さそら)、寸聞多羅(すもたら)の四種を用意し、かぐや姫の心を託しました。




証歌は、

今はとて天の羽衣着るをりぞ

    君をあはれと思ひ出でける




けっしてこの地上の人と結ばれぬ運命を持つかぐや姫が、
天の羽衣を着て月に帰るその刹那に、「今はとて」と万感の想いをこめて、帝(みかど)に言い残すのです。


今はとて・・・君をあはれと・・・




そのとき、「もの一言、言ひ置くべきことと言ひて、文書く。天人、
「遅し」
と心もとながり給ふ。かぐや姫、
「もの知らぬことなのたまひそ」とて、いみじう静かに、おほやけに御文たてまつり給ふ。あわてぬさまなり。



いいですね。

天上世界のかぐや姫が、いらいらする天人をたしなめて、

「もの知らぬことなのたまひそ」

“そんな情しらずなことなど言わないで”


「ものを知る」「ものの心を知る」とは、
当時の最高の生活理念だったようです。

それは、「物事の表面だけで判断せずに、相手の心の奥底まで下り立って、本当の気持ちを理解した上で、最も適切に自分の態度を決定すること」、新潮日本古典集成『竹取物語』の野口元大氏の校注です。



いいことですね。
いまも大切なことだと思います。



罪をつくり、月の世界からこの地上に送られてきたかぐや姫が、なんとすばらしい地上の心を持つようになっていたのでしょう。


最後に、神父さんはおっしゃいました。多くの国にはそれぞれの物語がありますが、とりわけ日本には多くの古典文学が残っていますね。
わたくしはさまざまな国々をめぐり、滞在もしましたが、その国の文学を探求していくと、どの民族にも、人間としての根底にあるものは、同じような魂ではないかと思いますよ。



香席の香りの出は、どの香もとても明確で、清浄な世界に包まれていくようでした。
昨夜の月のように・・・。




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| 香道 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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