晟聴(せいちょう) 〜香りの旅〜
〜香道研究家・伊達晟聴(だてせいちょう)が綴る香りの日々〜
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2019.05.23 Thursday
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2006.09.30 Saturday
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伊達晟聴
聞香稽古:利休への道ー6・珠光『心の文』
尾形光琳筆 秋草図 『名宝日本の美術』より
少しまえには、「心の時代」といわれたことがありますが、
最近は声高には言われなくなっています。
考えれば、いつの時代も心の時代なのですね。
珠光に『心の文』というものがのこっています。
これは、珠光より古市播磨守澄胤(ちょういん)に与えられた秘伝書です。
この人物は、大和の守護代的存在の武将。
茶の湯では珠光の弟子。
此道、第一わろき事ハ、
心のがまむ(我慢)がしやう(我執)也。
こふ(巧)者をばそねミ、初心の者をバ見くだす事、一段(格別)無勿体事共也(不都合なことだ)。
こふしやにハちかづきて一言をもなげき(教えを乞い)、又、初心の物をばいかにもそだつべき事也。
此道の一大事ハ、和漢のさかいをまぎらわす事、肝要肝要、ようじんあるべきこと事也。
又、当時(このごろ)、
ひゑかるゝ(冷え枯れる)
と申て、
初心の人躰(初心者)がびぜん(備前)物・しがらき(信楽)物などもちて、人もゆるさぬたけくらむ(闌け暗む)事、言語同断也。
かるゝ(枯れる)と云事ハ、よき道具をもち、其あぢわひをよくしりて、
心の下地
によりて
たけくらミて、
後までひへやせ(冷え痩せ)てこそ面白くあるべき也。
又、さハあれ共、一向かなハぬ人躰(じんてい)ハ、道具にハからかふ(拘泥する)べからず候也。
いか様のてとり風情(わざのたくみなる者)にても、なげく所、肝要にて候。
たゞがまんがしゅう(我慢我執)がわろき事にて候。
又ハ、がまんなくてもならぬ道也。
銘道(金言)ニいわく。
心の師とハなれ、心を師とせざれ
と古人もいわれし也。
茶人の心構えを伝えているのですね。
そして、「心の下地」とは!
内面的な自覚の深まり。
雪舟筆 破墨山水図
『日本の美をめぐる』より
茶の湯の修行は、美的感覚的な体験の積み重ねと同時に、さらに心の条件が重要なんだといっているような気がします。
「心の奥底」
が大切と・・・。
「心」という言葉。
それは仏教思想においては非常に重い意味を持ちます。
「心のあり方、さらに心そのものが世界であるという、印度・中国哲学をとおして深い思索の積み重ねられた言葉として、まず心を捉えなければならない」とは、栗田勇氏
「珠光の始めた侘び茶は、単に即物的な趣味の世界にとどまるものではなく、人間の根源的存リ方に関わるもの。
それは美的芸術的であるとともに倫理的であり、さらに仏道修行的でもあった。
茶道としての茶の湯、すなわち侘び茶の原点というべきであろう」と『茶の美学』の著者成川武夫氏は述べられています。
資料:成川武夫著『千利休・茶の美学』玉川大学出版部
芸術、倫理、仏道修行を求める生き方。
その日本文化の心の源流はどこからきているのでしょう。
これからすこし、“人間の根源的な在り方を追求した魂”への旅に出てみたいと思います。
それは、中世を生きた一人の男の心への旅です。
その男は、俗名・佐藤義清(のりきよ)。
僧名は円位で、号は“西行”。
雪舟の山水図巻『日本の美術7』
「日本の精神史上のプロトタイプとして人々の心に生きつづけ、
その思想性により、
一遍、芭蕉、良寛などの先達となり、連歌・俳諧を通じて、
思想、文芸のみならず、能・狂言・茶の湯にいたる、室町時代に様式をととのえた伝統芸術の理論的原型、さらには日本人の生き方そのものの典型となっていった」伝説的人間像をもつ西行。
資料:栗田勇著『西行から最澄へ』岩波書店
先ずは、その西行の心を香りに聞いてみたいと思います。
心なき身にもあはれはしられけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行
11月の聞香主題は「西行・秋の夕暮れ」にいたしましょう。
「心なき身」とは何なのだろう。
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2006.09.21 Thursday
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伊達晟聴
聞香稽古ー38:利休への道
『日本の美術7』蓮図 能阿弥
村田珠光に立花を教えた能阿弥は応永四年(1397)生まれです。
足利将軍に同朋として仕えた天下の名人。
何の名人か。
百年の後、画家の長谷川等伯は「画のことは元よりなり、
香の上手、連歌師」と語っています。
そして、東山流の殿中書院の茶の湯も堪能なのです。
能阿弥は将軍家にあった膨大な「唐物」のコレクションにかかわる様々な仕事にあたりました。
そして、将軍と武家や貴族、寺家との間を取り次ぎ、新たに買い求める文物の選定や作品の鑑識などをおこなったのです。
また、連歌を詠み、茶、花、香の歴史に重要な役割を果たしました。
珠光は立花とともに殿中書院の茶の湯をも伝授されたのです。
それとともに、能阿弥も珠光から奈良流の茶の湯の極意を伝えられます。
淡交ムック『香道入門』より
足利義政の山荘としてつくられた慈照寺(銀閣寺)弄清亭。
明治二十八年再建。
「足利義政の東山時代、書院造が完成するにつけて、書院飾りや台子飾りなどの装飾様式が成立するにともない、茶席は美の殿堂と化し、催される茶の湯という遊芸も、いつしか貴人による、貴人のための美の芸術にたかめられました。
台子とは点茶用の棚の一種で、点茶の定め事の基をなすもの。
台子飾りは、台子に茶道具を飾る方式をいいます」
東山流アカデミズムの成立です。
有名なのは『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』の存在です。
それは、書院座敷飾りの規式書です。
『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』。(淡交ムック『香道入門』より・東京国立博物館蔵)
君台観左右帳記は唐絵作家の品定めをし、掛物をはじめとする唐物道具の用法や図解を加えて、唐物趣味の横溢する東山文化の様子を伝えます。
これは、能阿弥から珠光が伝授した正本を、子の宗珠が写して他にあたえた写本で、書院の文房飾りを図解した部分。
この東山流アカデミズムの権威は、唐絵・唐物万能の権威主義的なものだったようです。
珠光が世に認められたのは、“侘び”に代表される奈良流茶道の系譜ゆえではなく、
能阿弥の権威の継承によってはじめて可能になったとのことです。
東山流を掌中にして、珠光を取り巻く事情は一変したのです。
その上で、彼は自らの目指す“侘び茶”の世界へとむかっていくのです。
能阿弥も将軍家代々が収集していた唐物名器の監理にあたっていましたが、財を傾けて唐物の茶器や掛軸を手に入れ、ごく限られた貴人のみがそれを鑑賞し、競い合う茶道に、少なからず疑問を抱いていたかもしれないのです。
そのせいなのか、能阿弥は珠光を茶の湯の師匠として、将軍義政に推挙しているのです。
そして、珠光は能阿弥より伝授された東山流を奈良流に応用移植し、茶の湯に今までにない創意工夫を施していきます。
<和漢のさかいをまぎらかす事肝要>
という珠光の言葉が象徴的です。
「唐物数奇の茶に、備前、信楽などの国産陶器を導入した珠光は、しかも斜陽しはじめた貴族社会に見切りをつけ、経済力を背景に台頭してきた京都、奈良、そして、新興都市“堺”の町衆へ、その広めるべき対象を見事に乗りかえた」のです。『千利休その生と死』加来耕三著
珠光の創意工夫は四畳半茶室の創成、掛物の改良です。
そこには“新しい茶の美”が生み出されたのです。
そのことが具体的にどういうことか知りたかったのですが、
次のことでハッと理解できました。
珠光は、
舶来の茶杓が象牙製
であったのに対し、
はじめて
竹の茶杓
を案出したのです。
そうか、竹か!
象牙から竹への変化に大きな意味を感じます。
珠光は、みずからの虚心な目で簡素・素朴・自然な和物の美を見いだし、
唐物中心の茶の湯の世界に和の美しさを入れていったのです。
時代は変革期、京の都を灰燼とかした応仁の乱など、
人の世は果敢ない、そして、むなしいという想いが人々の心をとらえていた時代です。
それは、「破壊と創造が独自の結合を見せた時代」です。
ドナルド・キーン氏は、その著『足利義政』のなかで、日本人の美意識は「暗示」「不均整」「簡素」、そして「果敢なさ」にあるといわれています。
風狂の禅・一休さんと出会っていた頃の珠光は、応仁の乱によって荒廃した世間の現実と、
人間の心の崩壊にどう向かっていけばいいのか・・・おおいに悩んでいたことでしょう。
現在の地球は・・・
その苦悩の末、茶の湯を極めようとしたとのことです。
心の師とハなれ、心を師とせざれ
と古人もいわれし也。
珠光『心の文』
「心の師とはなるがよい、しかし、心を師にはするな」
(心を導こうと努めるのはよい。しかし、心に従ってのみ進むのは良くない)
「茶禅一味」
の世界がみえてきます。
今回の資料は、成川武夫著『千利休・茶の美学』玉川大学出版部発行、及び、『千利休その生と死』加来耕三著 PHP研究所発行です。
ありがとうございました。
次回は
『心の文』
の世界へいってみましょう。
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2006.09.08 Friday
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伊達晟聴
聞香稽古:「香合(こうあわせ)」
『名宝日本の美術』秋草図団扇部分 尾形光琳筆
来週、聞香特別稽古を「香合せ」としました。
それは、室町時代の頃より、香木を用いて、香の優劣をきめる遊びをいいますが、
いま、自分なりに楽しむとしたら、香合せはどんなものになるのだろう。
どのようにして「香合せ」が生まれたのでしょう。
では、香りについての日本人の心を訪ねることからはじめます。
先ずは、八世紀頃にまとめられた『万葉集』の歌から、
奈良朝の人々の心を想ってみましょう。
橘の にほへる香かも ほととぎす
鳴く夜の雨に うつろひぬらむ 大伴家持
梅の花 香をかぐはしみ 遠けれども
心も萎ぬに 君をしぞ思ふ 市原王
『名宝日本の美術』より「竹梅図」部分 尾形光琳筆
平安朝になると一層盛んに香りを詠うことが多くなります。
『古今集』では、
折りつれば 袖こそにほへ 梅の花
ありとやここに 鶯のなく
色よりも 香こそあはれと おもほゆれ
誰が袖ふれし 宿の梅ぞも
君ならで 誰にか見せん 梅の花
あかぬ色をも香をも 知る人ぞしる 友則
春の夜の やみはあやなし 梅の花
色こそ見えね 香やはかくるる 躬恒
人はいさ 心もしらず ふる里は
花ぞむかしの 香にほひける 貫之
散ると見て あるべきものを 梅の花
うたてにほひの 袖にとまれる 素性
主しらぬ 香こそにほへれ 秋の野に
誰がぬぎかけし ふじばかまぞも 素性
『名宝日本の美術』より「秋草図」部分 尾形光琳筆
花の色は 雪にまじりて 見えずとも
香をだににほへ 人のしるべく 篁
梅の香の ふりをける雪に まがひせば
誰かことごと わきておらまし 貫之
これらの歌から感じられるのは、衣服にたきしめた薫物(たきもの・練香)の香りです。
当時の宮廷人の生活にとって薫物は欠かすことのできないものであったのです。
『名宝日本の美術』より「秋好中宮図」部分 尾形光琳筆
★
香をたけば、ただちに空気中にそのまえにはなかった一種異なった香りが漂います。
そのことが、いはば現実ばなれをしたような世界が現れてくるように感じて、
それを荘厳の世界と解釈したのでしょう。
荘厳 .愁Ε乾鵝 ,ごそか。たっとく重々しい。
▲轡腑Ε乾鵝 ,蠅辰僂覆海函 かざりが美しいこと。
高徳をそなえていること。
(漢語事典より)
【荘厳の世界】は、宗教儀式の世界からもたらされました。
★
この香りの世界を、奈良朝後期頃からの貴族たちは、香を自らの居間にたいて楽しむようになったのです。
そして、平安朝の貴族たちは、居間や衣服に香を炷(たき)しめるだけでなく、
ついにはそれを遊びの世界に持ち込みました。
当時流行していた歌合せや絵合わせなどと同じように、香りを「高次的な遊びの対象として成立させた」のです。
それは、
薫物合(たきものあわせ)。
薫物(練香・ねりこう)の香りを合せて、その優劣を競い味わう遊びです。
『香道入門』淡交社 源氏物語画帖「梅枝」土佐光則筆 薫物合を始める前、光源氏と判者をつとめる兵部卿の宮のやりとりを描く。
「十四世紀頃になると、単に香りの優劣を競争するだけではおさまらなくなり、文学的理由づけを要求するようになって、興味の焦点は文学に移ったかの観がある。
匂いを和歌で説明する風潮が強くなり、薫物の銘も和歌に求めるようになった」
「十五世紀の終わり頃になると、薫物合は香木で行なわれるようになり、香合(こうあわせ)が【薫物合のおもかげ】を伝えたものとして興行され」
「十七世紀ともなれば、空前の繁栄を見ることになったのである。
香は連歌的法則をとり入れ、もはや香気は文学の世界を離れては、意義がないようにさえなったのである。
しかも、十七世紀といえば、文芸復興時代といわれただけあって、香気のこのような受け取り方は、一般に好意を持って迎えられ、香道の全盛期を築きあげたのである」
十八世紀になると、次第に香合や炷継香が行われなくなり、
「十八世紀の香道界を支配したものが、組香形式による遊戯法である。
従来行われていた香合の類では、常に二種の匂いの良否が中心となって遊戯が展開され、アクセサリーとして銘に関連して文学が登場する仕組みであるが、組香では二種以上の匂い(香)を使用して、一つの主題を臭覚の上で表現しょうとするところに、両者の根本的相違が認められる」
そして、二十一世紀まで・・・。
そこで、来週の聞香(もんこう)稽古は、香木で「香合せ」をしてみようと思いました。
現代の【香合せ】とは、如何なるものになるのか。
それは、香による豊かな【魂合せ】とでもいうべきものかもしれない。
そして、その優劣を競うものではなく・・・とけあうこと。
香りから密なる響きをうけとること。
香りに聞く仲間とともに。
でなければ、聞香における新しい想像=創造はないように思う。
香りと詩の精神、そして何かがプラスしたもの・・・!!
今回の資料及び引用は、『香道 歴史と文学』三條西公正著です。
ずっと以前に神田で購入しました。
昭和46年 初版発行です。
発行所は淡交社。
ありがとうございました。
稽古では、香りがどのように魂に染み込んでくるのかをじっくりと味わってみることにしたいと思います。
現代における香りの真の遊びは、
この私たちの生きる世界を荘厳してくれるでしょうか。
どのようなことになるのか・・・香りに聞きます。
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2006.09.03 Sunday
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伊達晟聴
9月の聞香稽古:香りに聞く良寛の心
『良寛へ歩く』小林新一著 国上寺
『良寛の詩と道元禅』竹村牧男著より良寛の心を聞く。
雪の夜に 寝ざめて聞けば 雁がねも
天つみ空を なづみつつゆく
良寛さんにとって、和歌は表とすれば、詩は裏であると、
竹村牧男氏は述べられる。
「えてして裏はその秘密裡の深みを宿している。
少なくとも詩にみる良寛において、
われわれは、あの温和な、飄逸な印象に結ばれた禅僧が、
その背後に限りなく深い闇と孤独とを懐いていたことを忘れることができないのである。
夜ふけてしんしんと深まる静寂境にひとりうずくまるとき、
独りという意識さえも消えいって、夜がそこに降りたったことがそのまま孤独ということであるような、そんな世界に住んでいた人である。
良寛の詩のかなりは、そのような寥々たる深淵からはぜた言葉なのである」
寥々たる深淵からはぜた言葉
その言葉を発する寸前には、良寛さんはなにを聞いておられたのだろう。
千岩同一色 千岩 同じく一色
万径絶人行 万径 人行絶ゆ
傍竹密有響 竹に傍(よ)れば密に響あり
占梅欲尋香 梅を占(と)うて香を尋ねんと欲す
この詩は、「春夜対雪懐友人」(春夜 雪に対して友人を懐う)と題する詩の一節。
雪漫々の庭に降りたって竹やぶに近づくと、
ひそかに響きのあがるのが聞こえたのです。
春の訪れを告げる声が、ういういしい響きを伝えたのです。
音が生まれる。
その瞬間を良寛さんは聞かれた。
おずおずと、しかもおごそかに、ものの音(ね)の響きが甦った。
それはすきとおった、キラリと光るような音だったのでしょう。
「玄冬の季ともなれば山中の渓川の水も氷りつき、せせらぎの音は耳辺にとどかなくなる。
一切がみずからの核へ向かって押し黙ってしまう。
ものみなが息を殺して凝り固まる。・・・しかしながら、おのずから時は移ろいゆく。
遠からず春を迎えるであろうし、やがて水ぬるんで岩走り、
梅華ほころんで香を匂わせるであろう。
雪解けは、外からはうかがうこともできない深部で始まっている。
沈黙は、かすかな響きをいつしかはぐくみ始めるのである」
そして、
「見聞する主が個我を超脱するとき、
形色そのものが、音そのものが親しく会取せらるる」
「ひびき、光り、いろどり、香り・・・この世を荘厳する感覚のそれぞれの片々は深々とした無を母胎として生まれいずる」
そして、これが次のような魂に繋がっているのでしょう。
静夜 草庵の裏(うち)
独り奏す 没絃琴(もつげんきん)
調べは風雲に入りて絶え
声は流水に和して深し
洋々として渓谷に盈(み)ち
颯々(さつさつ)として山林を度(わた)る
耳聾漢(じろうかん)に非(あら)ざるよりは
誰か聞かん 希声(きせい)の音
誰か聞かん 希声の音
『良寛へ歩く』小林新一著 五合庵を出てから住居とした乙子庵から十数メートルの距離。良寛が生活に使用した小滝。
今回の資料と引用をさせていただいたのは、
竹村牧男著『良寛の詩と道元禅』です。
ありがとうございます。
この本に出会って、聞香の【聞】(もん)の精神を深めることができました。
いまこそ、あらゆる出来事の【真】を静かに“聞いていく”ことが大切だと思います。
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2006.09.01 Friday
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伊達晟聴
9月聞香(もんこう)稽古:香りに聞く良寛の心
『えん』薫風緑陰号 巻頭特集「良寛と夕日の丘公園」写真部分
「利休への道」をとばし、9月の聞香稽古の主題:良寛について書きましょう。
良寛は、越後(新潟県)出雲崎で代々回船問屋を営む橘屋山本家の長男に生まれました。
幼名は栄蔵。
十八歳のとき、隣町の尼瀬の禅寺光勝寺へ突然入ってしまいます。
そして、二十二歳のとき、寺を訪れた大忍国仙に師事して、
玉島の円通寺へ禅修行。
三十三歳で印可され、これを機に良寛と号し、
翌年、諸国行脚の旅に出ます。
寛政八年(1796)、このころ帰郷し、郷本の空庵に住みます。
三十九歳の頃です。
その後、各地に仮寓。
そして、天保二年(1831)正月六日逝去。七十四歳。
民謡「出雲崎おけさ」には次ぎのように歌われています。
(ヨシタ ヨシタ ヨシタナ)
おけさ踊りと 磯打つ波はヨ
・・・
越後出雲崎 良寛さまは
破れ衣に 鉄鉢持ちて
子ども集めて 毎日日々
手毬つくやら かくれんぼ(ソレ)
鬼にされても その身は仏
仏ごころに ソーレ 鬼はない
(ハア ヨシタ ヨシタ ヨシタナ)
今じゃ天下の 良寛さまもヨ
(ハア ヨシタ ヨシタ ヨシタナ)
昔や行脚の ソーレ 草枕
(ハア ヨシタ ヨシタ ヨシタナ)
・・・略
「岩室甚句」(新潟)にも
・・・
村のヤ 子どもと 良寛さまは
日暮れ忘れて あのかくれんぼ
・・・
多くの人に慕われた良寛さんですね。
9月には、良寛さんの漢詩を主題にして、聞香稽古をしょうと思いました。
仲間にも良寛ファンが多くて、聞香・良寛さんといいますと、
すぐに、
秋萩の 花咲くころは 来て見ませ
命またくば 共にかざさむ
と口ずさまれます。
この歌は、若い尼僧・貞心尼への歌です。
(秋萩が咲くころになったらまたきて下さい。わたしのがそのときもまだいのちがつつがなかったら、一緒に萩の枝をかざして遊ぶとしましょう) 『風の良寛』中野孝次著
『良寛へ歩く』小林新一著 「貞心尼像」
貞心尼は良寛さんと、「みずみずしく美しい心のやりとりを交わした人」です。
貞心尼さんは、秋萩の花が咲く頃まで待てないで良寛さんに会いに来られました。
秋萩の 花咲くころを 待ちとほみ
夏草わけて またも来にけり
貞
『えん』薫風緑陰号 良寛遺愛の手毬(原田家蔵)良寛は手毬を衣の袖に入れてでかけては、子どもたちと日暮れまで遊んでいたという。
今回は、良寛さんの「聞く心」をじっくりと考えてみたいと思っています。
良寛さんは若くして出家され、備中玉島の円通寺で修行されましたが、
生涯、寺の住職にはならなかった人です。
良ヤ愚ノ如クシテ、道 転(うたた)寛シ
師・国仙和尚の印可の偈(げ)の言葉です。
愚であることが仏の大道に通じている生き方をした良寛さん。
ここには師のつつみこむような愛と励ましがあります。
いっさいを大いなる者にゆだねた、自然にまかせた生き方をされました。
騰々仁運(とうとうにんうん)です。
以前に、国上山の五合庵を訪ねたことがあります。
『トランヴェール』秋の五合庵
五合庵にはやさしい風が吹いていましたが、
冬になり雪が積もることを想うと、その生活の大変さが伝わってきました。
『良寛へ歩く』小林新一著より 冬の五合庵
五合庵は、もともと国上寺住職の隠居後の庵です。
そのため、庵が空いていなければ住むことはできません。
良寛さんは寛政9年(1797)から5年間住むと、他のところを転々とされ、そのあと、48歳ときから59歳までの10年間余りは五合庵に定住されました。
「八畳ほどの五合庵。屋根は槙の板葺きで柱は竹だったといいます。
どしゃ降りの時は雨漏りも、吹雪きの日は戸や窓の隙間から粉雪が舞い込んだことでしょう。
越後は豪雪の地、来る日も来る日も降りやまぬ雪に閉じ込められて、人里への托鉢もままならぬ飢えと孤独の中、ことに厳冬の夜の寒さは身も心も凍えるほどであったはずです」
埋み火に 足さしくべて 臥せれども
こよひの寒さ腹にとほりぬ
(囲炉裏の灰に埋もれた火に足までくべるほど近づけて寝ていても、今夜の寒さは腹にしみ通るほどだ) 資料:『トランヴェール』
そのとき、良寛さんの心は静かに“なに”を見つめ、そして聞いていたのでしょうか。
静夜草庵裏
獨奏没絃琴
調入風雲絶
聲和流水深
洋洋盈渓谷
颯颯度山林
自非耳聾漢
誰聞希聲音
静夜 草庵の裏(うち)
独り奏す 没絃琴(もつげんきん)
調べは風雲に入りて絶え
声は流水に和して深し
洋々として渓谷に盈(み)ち
颯々(さつさつ)として山林を度(わた)る
耳聾漢(じろうかん)に非(あら)ざるよりは
誰か聞かん 希声(きせい)の音
「良寛の得ようとした願い、絶えず努めてきたもの・・・
独り奏す 没絃琴・・・
誰か聞かん 希声の音」、
それを知りたい。
香りに聞いてみたいのです。
それは深く深く、目に見えず耳に聞こえないものかもしれません。
しかし・・・聞いてみたい。
「良寛の得ようと願い、絶えず努めてきたもの、それは世間のふつうの価値とちがい、目に見えず耳に聞こえないものだった。
いわば糸のない琴のようなもので、ふつうには、それは聞こえないのである。
だが、その良寛が静かな夜に草庵にひとり鳴らす音はたしかに存在し、
すばらしいひびきとなって、空に上がっては雲の中に消える。
また地上では渓川の水と調べを合し、山林に入って風とともに颯々(さつさつ)と度ってゆく。
その音はそのように、いわば仏の妙なる音楽であるから、
世間ふつうの音声の聞こえない人、欲望を棄て去った人の耳にしか聞こえないのだ、
という。
良寛がこのように、自分の境地を比喩に託してたかだかとうたいあげるのは珍しいが、
良寛の心の中にはいつもこのような、世俗の者には聞こえない妙なる音色が、
颯々(さつさつ)と鳴りひびいていたのだ」
資料:『風の良寛』の著者・中野孝次
聞きたいのです。
誰か聞かん 希声の音
を香りに!
静かな夜に草庵にひとり琴を弾く良寛さん、
それは、無心無身の魂の琴を弾いておられたのですね。
そして、その調べが自然と和して深まり、
“希声の音”となるのですね。
聞香も突き進んでいくとこうなるのだろうか。
香りは自らの魂から香りたち、その香りに森羅万象の物語を聞くことができるようになるのかもしれない。
つづく
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