『舞態・田中泯:カメラ毎日』
ブログの最初の友人である画家・佐藤久美子さんが、
本の装丁をされました。
その時に、“僕も工作舎にいて出版の仕事に携わったことがあります。
なつかしい世界です、田中泯さんの写真なども撮っていましたよ”
などとコメントしたところ、
その頃のことを話して欲しいとのことです。
よし、と思いまして、写真を載せることにしました。
佐藤さんは舞踏が大好きなのです。
写真は、『カメラ毎日』に掲載したもの。
写真を撮っていた頃は、名前は「佐々木渉」でした。
当時、オブジェ・マガジン『遊』の編集長をしていた松岡正剛さんの「作品によせて」が同時に掲載されました。
それをお借りしてここに載せさせていただきます。
「作品によせて」 松岡正剛
佐々木渉 『舞態』ー特異点がやってくる時ー
前段がありますが、省かせていただきます。
私は日々「イリュミナシオン! イリュミナシオン!」とつぶやいていた当時の佐々木渉を知っている。
大学の写真部を出て、仲間とともにスタジオを共同でつくっていたころのことだ。
驚くほど繊細な神経組織が表情や手指の外にまで滲み出ているような男だった。
その一方、自分の美意識に挑むかのような仕掛けで、
痛烈な力学を内部に採りこもうとしている姿勢も顕著であった。
その後、彼の日立のキャンペーンやトヨタのキャンペーン写真が
新聞雑誌を飾っていた期間、私は佐々木渉から遠かった。
ふたたび突っ込んで接触しはじめるのは、
彼の工作舎入りが果たされてからのことである。
佐々木渉が“体表舞踏家”として知られる田中泯を執拗に撮りはじめたのは2年前になる。
私はそのみっちりした写真を通して田中泯の体表のなんたるかを感知し、
その力学的微妙を映像的媒介として、やっと実物の「踊る体表」に介入していった。
以来、200枚以上の「舞態写真」のプリントが私を通過したろうか。
当人はその10倍のファインダーからの景観を収めたにちがいない。
プリントはその都度変化していた。
あたかも田中泯の身体観念の振動とともに、実に微妙に、実に力学的に、微振動を起こしつづけていた。
そして、振動波はひとつのはっきりした事態にむかっていた。・・・略・・・
ある日、急速に特異点は訪れた。
それまで徐々に膨らみつつあった写真的上側の水力が、
瞬間、観念的下側の水力を引っぱりあげつつ巻き込んだのだろう。
驚くべき迫力の写真がうまれた。
この一枚が生まれてみると、それまでの幾多の舞態写真たちも一斉に蘇生してきたようだった。・・・略・・・
私は、一枚のプリントによって、
佐々木渉の写真の海までが脈動しはじめた、
と知った。
その一枚をふくむ一連の4枚組はこんど『カメラ毎日』に掲載された。
それにしても、写真家が「特異点迎える時」とはどのような消息がそこに殺到しているのだろうか。
私自身ではロクな写真を撮れないくせに・・・私の撮るものはおおむねわが日常的消耗を受けた事物ばかりだ・・・、多くの優れた写真家や写真に出逢えてきた幸運をもって、なんとか写真のエクリチュールからのすがすがしい放射線を受けてきた。
しかし、それだけにかえって、「究極の写真」の誕生の瞬間に対する憶測が誤ることを怖れる。
自身でたまさか暗室に入ってみたところで、こんな秘密は手に入れられるわけではない。
私にできることは、せいぜい暗室から出てきた佐々木渉の顔に、
いっさいを了解してあげられることぐらいだ。
そういう、印画紙に「大往生」を渡し込めた時の写真家から、
何かを聞き出そうというのも無駄な話だ。
彼のほうはもはや何も言うことがないからこそ、暗室を出てきたのだ。
しかし、暗室を出て一晩も過ぎれば、
写真家はまた新たな秘密に立ち向かって行かなければなるまい。
佐々木渉の、「舞態」には、田中泯の体躯を通したそんな次の意気込みまでが銀粒子化していた。
感激の一文です。
松岡正剛さん、誠に有難うございました。
感謝しております。
田中泯さんとの出逢いは、木幡和枝さんの紹介によるものです。
待ち合わせの喫茶店に入ると、
薄暗い店内の中央に、
濃密な存在感を漂わせた人物が坐っていました。
その人物に声をかける前に、
“このような存在感をもつ人を写真に撮ってみたい!”
と決心していたのです。
それが木幡さんの紹介の意図でもあったのでしょう。
写真は草月会館で撮ったものです。
庭の芝生の上で、田中泯さんの舞踏がはじまりました。
観客は遠巻きに輪になって観ていたのですが、
僕は、それが自然でもあるかのように、
泯さんに近づいていったのです。
距離は2mから3m。
手にしていたカメラはライカM3。
レンズは50ミリ、F2。
シャッター音は、静かに、“チィ”と囁きます。
望遠レンズを装着した一眼レフのニコンは、
カメラバックとともに遠巻きの輪にとり残されました。
僕自身はいつの間にか観客の目に晒されていたのです。
しかし、全感覚は、田中泯の足の親指を注視するのみです。
その親指が次の動きを伝えるのです。
動きと一体化した感覚は、ものすごくゆるやかに、ものすごくはやく、
泯さんとともにありました。
後日、次回の公演企画の人から電話がありました。
田中泯さんと一緒に舞台に出て欲しいとの・・・。
泯さんとともに舞台に登場して、僕は写真を撮る!
ビックリシマシタ!
丁寧にお断りしました。
はじめから意図して、それはできないと思ったからなのですが・・・。
いまなら、お受けしたでしょうね。
公演企画の人の考えがよくわかりますから・・・。
舞踏家と、写真家との、撮る撮られる精神の力学も、
ひとつのアートとなりうるからです。
そのときは、泯さんと1対1で写真を撮らせていただきました。
思い出します。
六本木のアートセンターで、
真っ白のホリゾントの上に、
舞態の軌跡が、あざやかに刻まれていくのを・・・
それは、まさに、ひとつの儀式だったのです。
『なにものか』に捧げる魂の・・・・・
聞香は、人生のすべての記憶が参集してくる世界です。