プロフィール
選択している記事
カレンダー
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2006 >>
過去の記事
カテゴリー
香道の推薦図書
香道蘭之園
香道蘭之園 (JUGEMレビュー »)
尾崎 左永子, 薫遊舎
香道を志す者にとっていつも手にしていたい本です。インスピレーションの原点。
香道の推薦図書
香と香道
香と香道 (JUGEMレビュー »)
香道文化研究会
香道に興味ある人にいい本です。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
花の季節に聞香(もんこう)入門ー4:香りの美と聞香主題
花見の季節がやって来ました。
写真・晟聴

春のはじめのうた  壬生忠岑(みぶのただみね・十世紀の歌人)

春きぬと人はいへども 鶯の鳴かぬかぎりは あらじとぞ思ふ
                           古今和歌集 春歌上

「中世以降の歌学により磨かれた美意識が、組香の素材である香木の美を鑑賞し評価する骨格を造りあげている点に注目したい。
しかざれば沈香木七種のうち羅国(らこく)や真那賀(まなか)といった、あるかなきかのかそけき美に心を留めることはありえなかったろう。
このような香木の評価はわが国独特のものである」と『香道入門・香りと香道の歴史:神保博行箸』(淡交社)にありますが全く同感です。

昨日の稽古でも香木・羅国の香味“あるかなきかのかそけき美”に心打たれ、主題の情とともに感動していた次第です。

香道で用いられる香木は、伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真南蛮(まなばん)、真那賀(まなか)、佐曽羅(さそら)、寸門多羅(すもたら)の六種類とされ、そして、新伽羅を加えると七つとなります。
六国五味(りっこくごみ)という言葉は香木の種類を判定するためにつかわれます。
また、香りの性格を味覚に置き換え、甘い、酸っぱい、辛い、苦い、しおからい、の五味に分類したのです。
そして、文学的主題と香りが結び合い、「表現される聞香=香りに聴く世界」が出現したのです。
室町時代、東山文化が生み出した幽玄なる世界。
それは、「暗示」、「不均整」、「簡素」、「果敢なさ」等の美として表現されてゆくのです。(ドナルド・キーン箸『足利義政・日本美の発見』)
能はもとより、茶の湯、立花、水墨画、建築、造園、そして香りの世界にもその美意識は展開されます。

この「主題を導き、香りの美にうたれる心のもと」はどこにあるのでしょう。

「歌の心」のもとをたぐれば、『古今和歌集』の仮名序にゆきつくと思われます。
僕も大好きなのです、その仮名序を紹介しましょう。
「和歌(やまとうた)は、人の心を種(たね)として、万(よろず)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事・業(こと・わざ)しげきものなれば、心に思う事を、見るもの聞くものにつけて、言ひだせるなり。花に鳴く鶯(うぐいす)、水に住むかはずの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をもいれずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやわらげ、猛き武士(もののふ)の心をなぐさむるは、歌なり」と。
その心をともにすれば、まさに香道の心となります。    


写真・伊達晟聴沈香
香木の心は!

さあ、花見に出かけましょう!
香りとともに!

よし野山 こずゑの花を 見し日より
        心は身にも そはずなりにき

と、西行の心境にもにて
では、“花に狂う”西行の心を主題にして聞香を!


↓blogランキングに登録しています。
| 香道 | 15:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞香入門ー3:香十徳へ
灰手前ー真の箸目
写真・晟聴
箸目をつける。真中には火窓。心を落ち着けてゆっくりとおこないます。
写真・晟聴
「銀葉」をのせる。香木を“隔て火”にて香らせるため。
この“隔て火”の方法によって香りが清く美しく香り立ちます。
写真・晟聴
一木の香りを心ゆくまで味わいましょう。

「和国は朱雀院閑院大臣の黒方(くろぼう)、公任卿承和百歩香也。
これ皆合香(ごうこう)にして木を用いる事なし。
考(かんがうる)も吾朝上古一木を用る事まれなり。
しかるに京極入道道誉(どうよ)佐々木佐渡判官一木を好て、
軍旅国務の暇是を以て労を馳し欝を散ず。
其家に蔵(おさむ)る所の奇品佳種あり。
世に五十種の名香と称す」 『香道蘭之園』より

一木の香りを楽しむようになったのは、バサラ(婆娑羅)大名、(度を超えた美を愛するバサラ)の時代からのようです。
それまでは、黒方に代表される合香(香木を粉状にして何種類かの香を練り上げてつくったもの、薫物ともいわれる)を用いていました。

また、「亦慈照院贈相国東山殿此道ふかく好み給ひて、華の旦(あした)、月の夕、雨夜雪中薫炷あらずというこふ事なし」 ということで、足利義政公もおおいに香を楽しまれていたのですね。

慈照院には銀閣寺があります。
この観音殿の建築を構想した義政公はその完成を見ずに亡くなっています。
1490年1月7日のことです。
造営途中の観音殿を前にして、友人の飛鳥井栄雅は歌を詠みます。

心とめし 君は問えば 石も木も
        こたえぬ庭に 松かぜぞふく

生前、義政は次のような歌を詠んでいます。

くやしくぞ 過ぎしうき世を 今日ぞ思ふ
           心くまなき 月をながめて

( “くやしくぞ”なんて、このような生な言葉は和歌史上でも珍しいのです。義政公は、よっぽど悔しかったのですね。このことはまたお話したいと思います )
そして、また歌を詠まれました。

わが庵は 月待山の ふもとにて
        かたむく月の かげをしぞ思ふ

この月待山のふもと、京の都・東山から香りの道も生まれてきたと言われます。

日本学のドナルド・キーン氏は、いま私たちが日本の文化、日本の心といっているものはこの東山から生まれてきたのだとおっしゃっています。

同時代を生きた一休和尚の作といわれる“香十徳”では

 鬼神を感格す 心身を清浄す
 能(よ)く汚穢(おえ)を除く 能く睡眠を覚す
 静中に友と成す 塵程(ちりほど)の閑を偸(ぬす)む
 多くして厭わず 寡(すくな)くして是を為す
 久しく蔵(おさ)めて朽ちず 常に用いて障(さわり)無し

 とされています。

鬼神をも感動させる香の功徳は素晴らしいですね。

親しく香を楽しみましょう。

では、

↓blogランキングに登録しています。
| 香道 | 10:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
聞香入門ー2:香炉灰と香炭団
写真・晟聴
「さりが中にも白き灰はときしらぬ富士の雪、あるはまた白雲のかゝる姿になるによって第一白きをいつくしむ」 『香道蘭之園』より
「白き灰」はいつくしまれたのですね。

灰は常に手入れを怠らぬが肝要です。
香の準備を行うとき、まず、灰をすこし温め、湿気をとりさり、適度に乾燥させることが大切です。このことを怠ると香炭団は完全に燃焼せず、途中で消えてしまうことがあります。

よくととのえられた灰によって灰手前は行われます。
香炉に赤くおこった香炭団を入れ、灰をかきあげ、富士の山のように形作っていきます。
灰手前途中のものです。
写真・晟聴

ここで、富士山についてすこし・・・

田子の浦ゆ打ち出でて見れば真白にそ
      富士の高嶺に雪は降りける
                  山部赤人

富士の嶺に降り置く雪は六月(みなづき)の
  十五日(もち)に消ぬればその夜降りけり
                   伝虫麿

万葉集に伝わる富士の山を詠った歌です。

その季節は。

伝虫麿の歌では明確に伝えています。

富士の山に降り積もった雪は、太陽暦で言えば七月下旬に消えたのですが、
またなんとその夜に雪が降ったのです。
季節は夏なのです。大和から赴任してきた二人には驚きだったのでしょう。

しかも、富士の高嶺は、当時、まだ噴煙を出していたことでしょう。

反歌(短歌)の前に置かれた伝虫麿の長歌には、

“・・・富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ・・・”とあります。
富士の山頂の燃える火を、雪が消し、また、その雪を火が消すのです。

赤人の長歌では、

“・・・渡る日の 影も陰らひ 照る月の 光も見えず・・・”と噴煙が太陽の光も、月の光も隠しているのです。

これらの長歌は、蝦夷の人々が伝える富士の大噴火の伝承を聴き、詠ったものといわれています。



香炭団です。
写真・晟聴

『香道蘭之園』には、
「燐(ヲキ)は木花開那姫の神体とし、・・・」とあります。
燐:(おき)とは、赤くおこった炭火のことです。

今では、赤くおこった香炭団ということになるのでしょう。

そして、現代においても、富士山を守る神は「木花開那姫(このはなさくやひめ)」なのです。


私たちは、「宇宙」と見立てた聞香炉の中に、富士の山をいただいて香りに包まれていくのですね。
素晴らしい喜びです。

富士の山を敬愛する日本人の魂は、縄文の時代から連綿として受け継がれてきているのですね。
富士山については、宗左近先生の著作『日本美 縄文の系譜』から学ばせていただきました。

つづく

↓blogランキングに登録しています。

| 香道 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
香りに聴こう:聞香入門−1・香炉
写真・晟聴
聞香炉(ききごうろ)です。

『香道蘭之園』には、香炉について次のように述べられています。

「香炉口に一空を備え、三ッの足は日月星の三光、
天地人の三ッとして本朝の神秘とし玉ふ」

香炉の口には空がひろがり、
香炉の三つの足は日、月、星と見立てる。
また、この三つは、天であり地であり、人でもあります。
まさに「香炉」は宇宙そのものを体現するものであったのです。

私たちは、聞香(もんこう):香りに聞いていくとき、
<宇宙=香炉>を手に持っているということになります。

(香道では香りを嗅ぐと表現せず、香りに聞いていくといいます。それは、香りに親しむとき、単に生理的なもの、感覚的なものと考えず、心や魂の深みにふれるものとして香りをとらえるからです。)

<香炉=宇宙>を手に抱いて、なすべきことは、
「道と共に遊ぶ」ことです。

「道」とは、宇宙の根本的真理をさします。

香りに遊ぶとき、共感覚によって全感覚は立ち上がり、
目の前には想像力のめくるめく世界が出現するのです。


タオの思想家・荘子のようにです。
『荘子』逍遥遊篇には、

「北の冥(うみ)に魚あり、其の名を鯤(こん)と為(い)う。鯤の大いさ、其の幾千里なるを知らず。化して鳥と為るとき、其の名を鵬(ほう)と為う。鵬の背(そびら)、其の幾千里なるを知らず。怒(ふるいた)ちて飛べば、その翼は空垂(そらみ)つ雲の若し。是の鳥は、海の運(うご)くとき、将に南の冥に徒(うつ)らんとする。南の冥とは、天のなせる池なり」

(世界の北の果て、波も冥(くら)く遥かにたゆとう北極の海。その冥く遥かな波の上に幾千里あるともしれぬ巨体を横たえている鯤という名の魚。やがて、この巨大な鯤が七色なす極光の神秘に歳月をへて、大いなる転身の時を迎えると、背の広さ幾千里あるともしらぬ巨大な鳥に変化する。この鵬とよばれる巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きさは、青空を掩(おお)う雲かと見まがうばかりである。荘子の筆は開巻まず人間の思惟と想像力のみすぼらしさをあざわらうかのように、常識の世界を超えて無限の時間と空間に飛翔する。垂天(すいてん)の翼をもつ大鵬が北の果ての海から南の果ての海に天翔(あまか)けるためには、大海原を吹きどよもす颶風(ぐふう)が必要なのである。)川内芳夫箸『良寛と荘子』

それは、「逍遥遊すなわち“こころまかせの遊び”の世界」です。

川内氏の言葉をかりて言えば、(真に自由な“聞香人”は、天地宇宙の真理と一体となり、大自然の生成変化とそのまま一つになり、天地宇宙の悠久なるがごとく、大自然の生成変化の窮まりなきがごとく、一切の時間と空間を超えた絶対自由の世界に逍遥する)となりますでしょう。

香りに乗りて心を遊ばせることは、とてつもない想像力の世界に突入することなのですね。
そして、日常を超えた、辻邦生氏がおっしゃった「大いなる私」に出会うこと!

この聞香体験を深めることによって、日常の中にも「大いなる私」と呼ぶべきものが存在するようになるのでしょう。
香りに聴く用意をしましょう。
灰の準備と香炭団を!
はい!
↓blogランキングに登録しています。
| 香道 | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
| 1/1ページ |