もう五年にもなりますが、『小原流挿花』2000年1月号に編集部から
依頼を受け、トレンドページに寄稿したものを載せます。香りについて
すこしお伝えしたくなったものですから。
この幽玄なるもの・香りの日々
シャーロック・ホームズ曰く「優秀な探偵には、少なくとも
75種の香りの知識が必要である」と。彼を香道の席に招待すれ
ばすべての香を聞き分けるのでしょうか。
香木がもつ優しく幽玄な香りは、自然の大いなる恵み、心の
癒しです。彼ならきっと香道を好きになるだろう、などと考え
ながら銀座通りを横切り、ニコンサロンへ。ヒマラヤの麓、ムス
タン王国を取材した写真展。知人の写真家が香の焚かれた会場に、
数珠を身につけて立っていました。
「ムスタンでの最初の朝、目覚めると目の前で煙が濛々として
いてね。火事かと思って飛び起きたよ。それが香を焚きしめていた
んだ。ムスタンでは、一日が、香で清め、祈る事から始まるんだ」。
人の生のあるところ“香り”在りです。
仏教原点の地・ヒマラヤの麓に香あらば、日本にも仏教と共に
香が伝来。
聖徳太子は淡路島に漂着したという“香る木:沈香木”の香りで
瞑想し、“和による救い”を願っておられたにちがいありません。
鑑真和上がお伝えになった練香も、華麗な薫物(たきもの)として
紫式部は楽しんでいたことでしょう。
源氏物語は「大殿のあたりのいひしらず匂い満ちて、人の御心地
いと艶なり」と空薫(そただき)の心を伝えています。衣服に移香、
部屋に空薫、男女の恋の場面に香が登場するようになったのはこの
頃です。
幽玄なる一木の沈香を愛するのは武士達の時代。
バサラ大名・佐々木道誉は名香を集め、足利義政が続きます。
三條西実隆と志野宗信は名香の芳香と和歌を結び付け、香道に至ります。
これこそ、香を愛する者の究極の情熱、聞香(もんこう)の始まり
です。心の道、精神の極み。一息一息、心を静め、香りに命を照らして聞くのですから。
1574年3月、織田信長はお供の御馬廻のまえで、正倉院に伝わる名香木“蘭奢待:らんじゃたい”を、一寸八分切り取ります。この剛毅な男も馬尾蚊足:ばびぶんそく”の小さく細く割った香木で香に聞きいっていたのでしょうか。
その時、宗易:千利休も同席していたかも知れません。
利休を慕った芭蕉は『野ざらし紀行』の一節に記します。
蘭の香や蝶のつばさに薫物す
江戸時代には香は広く親しまれ、庶民の間にも香のたしなみがゆきわたったそうです。春が近づいたことを野に咲く花の芳香で気づいたという古人たち。
現代は香りを生かし、快適な環境づくりを目指すアロマコロジー
が注目されています。いつの時代にも、自然を大切にする心を失わず、香りに満ちた豊かな日々を送りたいものです。
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先日、香道をたしなむ友人が、はじめて香元をつとめるというので出かけてみました。愛らしいお手前で、微笑ましく、香も豊かに香っておりました。
少女の頃、よく遊んだ夏の草原、その夕暮れの思い出を三種の香木で表現したかったそうです。正客からは「今年一番のいい思い出になりました」とお褒めの言葉がありました。 今日も彼女の部屋には素敵な香りが漂っている事でしょう。