雨月物語・浅茅が宿より 新潮日本古典集成
今日は、上田秋成の『雨月物語』の中から、
「聞香○浅茅が宿」で稽古です。
物語の内容を語りながらどんどん気持ちが入っていくのを感じました。
「ひたすら、待つことで愛を貫く女性・・・、善良質朴な男女の愛を妨げる戦乱という社会悪への批判もこめて、死と生を超える夫婦のひたすらな愛を描いた」秋成。
(『雨月物語・春雨物語』教養文庫)
涙をとどめて、「一たび離れまいらせて後、たのむの秋より前に、
恐ろしき世の中となりて・・・略・・・
・・・
今はながき恨みもはればれとなりぬる事の嬉しく侍り。
逢うを待つ間に恋ひ死なんは、人しらぬ恨みなるべし」と、
又よよと泣くを、「夜こそ短きに」といひなぐさめて、ともに臥しぬ。
やっと、七年ごしに逢えた宮木の言葉です。
皆、目頭に涙がたまっていました。
夫勝四郎がやっと帰ってきてくれたのです。
妻宮木は、どこにいようと、夫のため、二人の愛の証しのために、
家で待っているのです。約束したのですから、この秋にはと・・・。
たとえ、冥界にいようとも!
証歌は、
身のうさは 人しも告げじ あふ坂の
夕づけ鳥よ 秋も暮れぬと
「待っている私の悲しみは誰も夫に告げてはくれない。
せめて「逢う」という名の逢坂の関にいる夕つけ鳥だけでも、
どうか約束の秋は暮れてしまったと告げてくださいな」
そして、
さりともと 思ふ心に はかられて
世にもけふまで いける命か
「それにしても、夫がまもなく帰ってくるでしょう、と思う自分の心に
だまされて、よくもまあ、この世に、今日という今日まで生きてきました、私の命よ」
夫勝四郎は、死んでも死に切れなかった妻宮木の心情を思うに、
その悲しみに耐え切れなくて、
いにしへの 真間の手児女を かくばかり
恋てしあらん 真間のてこなを
「真間の手児女を慕っていた人々は、ちょうど私がかくも宮木を慕い嘆いているように、入江に身を投げた手児女を恋しがっていることでありましょうよ」
さあ、香りに聴きましょう。
勝四郎と宮木の心を。
香木を選んで、香の名をつけて下さい。
いつもなら、すっと選ぶKさん、今日は違いました。
悲しみに胸がつまって、選べません。
そこで、直接、香木にきくことにしました。
伽羅、佐曽羅、寸門多羅に。
香りがまわってきたとき・・・、
今日ほど、香りに人格のようなものを感じたことはありません。
香りは、そこにいて(具体的にそこに居る気がしました)、
伝えてくれているんです。
浅茅が宿の約束は
愛が恨みとなりしかど
逢えば心もしずまりぬ
と。