2015.11.28 Saturday
次回、水の和香の会。主題は「婆娑羅の精神・佐々木道誉 中世に噴出する魂の花」。
ここにても雲居の桜咲きにけりただかりそめの宿と思ふに 後醍醐
よしあしと人をば言ひて誰もみな我が心をや知らぬなるらん 尊氏
(みんな、他人のことを批判・非難しがちなものだが、自分の心の愚かさ、醜さを振り返れば何も言えないのではないか)
南北朝動乱に関する本を読むとどうしても切なく悲しみにおそわれます。
『太平記の超人たち・後醍醐天皇・正成・高氏』の著者上田滋氏の「おわりに」のページには次のように書かれています。
「思えば、彼らはそれぞれが自らに課した重荷を負い、己の選んだ道を歩いて行った。途上に降りかかる喜びや悲しみや苦しみや、その一つ一つを深く味わい、また傷つきもしながら……
。だが、彼らの求めたそれぞれの理想と目標は、いずれもむなしく虚空に消えた。
歴史の歩みの上で、彼らは失敗者であり、ときに敗残者ですらあった。しかも、彼らの生きた姿に、私は感動する。なぜか。
それは、いっさいの現実の事件が跡形もなくなり、そして数百年の歳月が過ぎたあとに、なお一つの思いが、残光の中にはっきり浮かぶように、強く私の胸をとらえて放さないからだ。すなわち……、
人は何のために、どのように生きるのか。
あの混乱と虚無のなかで、彼らは、彼らの生涯をかけて、その問いかけをしていたのではないか、と。
いや、その周りの少なからぬ人々も、それぞれが必死に自分の生きる道をさぐって生き、そして死んで行ったとおもわれる。
私は、その是非を越えてその真剣さに心打たれる。そして、自分の六十年の人生をあらためて振り返るのである」と。
次回水の和・香の会、主題は「婆娑羅の精神・佐々木道誉 中世に噴出する魂の花」。