2006.06.18 Sunday
聞香入門ー23:平家物語・敦盛の心、与一の心、そして、熊谷次郎直実の苦悩
今週は、聞香・平家物語です。
「敦盛最後」と「那須与一・扇の的」を昼と夜で稽古することにしました。
子どもの頃、家に合戦物語の絵本があり、いつも食い入るようにみていました。
絵本といっても、表紙は鮮やかな模様の布張りで、絵も細やかに描かれてあり、
今考えればとても子どもの向けと思えません。
その中でも、いまも鮮明に憶えているのは、戦場で一騎打ちになった武者が、
血のついたままの槍では相手に失礼と、ことわりをいれて、
池の水で血のついた槍を丁寧に洗ってから、戦いをはじめる場面でした。
相手は槍を洗う姿を見ながら悠然と馬上で待っているのです。
とても、静かな画面で、夕暮れの寂寥感あふれる色彩の中に、理不尽な戦の哀しみと凄みがにじみ出てくるような絵でした。
おさな心にも、殺しあう戦いの恐い話なのにどうしてこんなに美しいんだ、と、
とても変な気持ちがしていました。
それが、このように「聞香・平家物語」を主題として、香りにそのことを聴いていくうちに、人間存在の在り方を考え、その哀歓をしみじみとかみしめるようになったのです。
敦盛最後
「ただ、とくとく頸(くび)をとれ」
とぞのたまひへる。熊谷、あまりにいとほしくて、いづくに刀をたつべしともおぼえず、目もくれ心も消えはてて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、なくなく頸(くび)をかいてンげる。
「あはれ、弓矢をとる身ほど口惜しかりけるものはなし。武家の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をばは見るべき。なさけなうも討ちたてまつるものかな」とかきくどき、袖をかほにおしあてて、さめざめとぞなきゐたる。
心ならずも若武者の首を討ち取った熊谷次郎直実は、さめざめと泣きぬれます。
その、あはれを嘆く直実にとっては、「戦いそのものの無残さ、無意味さに目を開かせ、これを否認する思いにつながります。
それは、もう勝敗を超えた世界で、人間の存在やいとなみのはかなさ、かなしさといった、人間の世のありかたを問う根源的な思念といってよく、もはや宗教や信仰の領域に属する問題というべきでしょう」と、梶原正昭氏はその著『古典講読シリーズ・平家物語』で述べられています。
一の谷の合戦では、戦の経験の無い若い人から亡くなっていっているのです。
『古典への慕情』という著書で石田吉貞氏は、
「戦いが宿命であり、興亡も宿命であるならば、
その戦いのある一場面では、このように美しく戦ってほしい、そしてその美しさを描く詩も、その美しさの中に、永遠の涙をこめて、力いっぱいその美しさを歌ってほしい。
この平家の船団が西の方に向い、源氏の船団がこれを追って、壇浦に到れば、すぐにあの修羅の大撃滅戦が行われ、平家は残らず海に沈んでしまうのではないか。
もっとも美しいものがもっとも悲しく、もっとも悲しいものがもっとも美しい、それが、中世の美学、『平家物語』の美学である。中世では文字を知らない庶民でも、そのことはよく知っていた。・・・
那須与一・扇の的
「南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権現・宇都宮・那須のゆぜん大明神、願はくばあの扇のまンなか射させてたばせ給へ。これを射そんじる物ならば、弓きりおり自害して、人に二たび面をむかふべからず。いま一度本国へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」
『古典への慕情』石田吉貞著の続き、
さびた琵琶の撥の音がひびき、『平家物語』を歌う声があれば、どこにでも中世の人々は集まった。
そして、息を呑み涙を流してそれを聞いた。
平家の興亡が自分たちの興亡であり、平家の宿命が自分たちの宿命であることを、骨にしみて知っていたからである。
だから、『平家物語』のあの叫びあげる慟哭の声は、中世の声であり、われわれ民族の魂の底に、深くこもっている声である。
そして、
私が『平家物語』を読みたい理由は、そこにある。
五月雨の夜、蝋燭の光で、私は静かに『平家物語』を読みたい。
とくに「扇の的」の、あの、燦然としたさびきわまったなかに、人間の悲しさ、存在の悲しさを、しみじみと考えたい」と語っておられます。古典講読シリーズ『平家物語』梶原正昭著より
このように考えると、私たちがいま在るのは、
先祖の多くの人々が流した血によってであると実感されます。
香りは、どのようなことを伝えてくれるだろうか。
聞香の香りは、美学では、はかれないものだと思う。
具体的で、あまりにも生々しくて・・・。
「ただ、とくとく頸(くび)をとれ」という、
敦盛の心は!
「抑(そもそも)いかなる人にてましまし候ぞ。
名のらせ給え、たすけまゐらせん」
直実の心は!
「これを射そんずる物ならば、弓きりおり自害して、人に面をむかふべからず」
その与一の心は!
この二人の若者が、そして、狂気の戦場の中で人間性に目覚めていく直実のような人が、現在に、生きているとすれば・・・。
直実は、その後、仏門に入り、名を蓮生(れんしょう)と改める。
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