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聞香入門ー17:聞香/佐渡の旅・『銀河の序』芭蕉
sei
前から気になっていた芭蕉の『銀河の序』には、

「むべ此嶋はこがねおほく出で、あまねく世の宝となれば、
限りなき目出度嶋にて侍るを、大罪朝敵のたぐひ、遠流せらるるによりて、
ただおそろしき名の聞こえあるも、本意なき事におもひて、
窓押開きて暫時の旅愁をいたはらむとするほど、
日既に海に沈(しずん)で、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、
星のきらきら冴たるに、沖のかたより、波の音しばしばはこびて、
腸(はらわた)ちぎれて、そぞろかなしびきたれば、
草の枕も定まらず、墨の袂なにゆへとなくて、しぼるばかりになむ侍る」。宗左近著『日本美 縄文の系譜』


そして、あの『奥の細道』でよく知られている句が、表記をかえ書き付けられる。


 あら海や 佐渡に横たふ あまの川



そこには、沖のほうから、波の音が響いてきて、
袂をしぼるばかりに泣く芭蕉がいる。


なぜ、そんなにまで、泣くのか。


その事が、知りたくて船に乗りました・・・

sei入れていただいたブリッジの望遠鏡より海を見る。

芭蕉の言葉、脳裏かすめて、佐渡へ渡る。


sei佐渡金山展示

佐渡金山400年の歴史・・・。
金を採掘するために、毎日、暗く冷える地下で働く多くの人々は、
若くして亡くなっていったそうです。


金とは、なんだろう。


平成元年(1989)3月鉱石の枯渇によって、採掘を中止。


sei佐渡金山展示:金銀山能舞台画

能の大成者・世阿弥が、佐渡に流されたことはよく知られていますが、
佐渡で能が盛んになったのは、江戸時代からのことのようです。
初代の佐渡奉行・大久保長安が、能楽師出身だったこともあって、
奈良から能楽師一行をともなって佐渡にやってきたのです。


元禄時代以降、庶民の演能参加が多くなり、
代々質の高い芸能を受け継いできた佐渡の人々の
活力と誇りがここにあります。
かっては、200以上あったといわれますが、
現在でも、32ほどの能舞台が残っているそうです。



能は魂を救うもの。

sei
春の夕暮れ 来て見れば。

sei
入相の鐘に、花ぞ散りける、花ぞ散りける、花ぞ散りける。

sei

sei

sei

佐渡能楽の里の能楽館で鑑賞。

薪能「道成寺」。
演じるのは、人形能楽師。
コンピュータによって、見事に舞い謡う約12分間です。

不思議な体験でした。



sei宝生流謡曲本 能楽資料館

永享6年(1434)、70歳をこえ、年老いて佐渡に住んだ世阿弥は、
どのような日々を過ごしていたのだろうか。
都を懐かしんで嘆いたのか。
それとも、「時分の花」を語った彼のこと、
「花」は、この佐渡にもあると、その暮らしを楽しんだのか。


sei佐渡能楽資料館「翁」室町後期

僕は想う、この翁のように笑って過ごしていたのだろうかと。

世阿弥の書いた「金島書」(永享8年/1436)には、一れんの小謡が残されていて、
その中に、


“げにや罪なくして、配所の月をみる事は、古人の望みなるものを”
白洲正子著『世阿弥』より

云々といった明るいものがあります。




人づてに聞く、「世阿弥は、年老いても、いつでも舞台に立てるように、体を鍛えていた」と。



民謡「佐渡おけさ」は、「能」の舞いに近い要素があるという。

sei佐渡観光ポスターより


ハア 佐渡へ(アリャサ)
佐渡へと 草木もなびくよ
(アリャアリャ アリャサ)
佐渡は居よいか 住みよいか
(アリャサ サッサ)

ハア かすむ相川 夕日に染めてよ
波のあや織る 春日崎
略・・・



seiたらい舟を漕ぐ娘さん

seiたらい舟

このたらい舟にも哀切極まりない恋の物語があるのです。
どこに生きようと人生の物語はつきません・・・


良寛さんの母上の里にも行きました、感慨深いものがあります。

僕の耳には“佐渡おけさ”の唄が
波の音に合わさって、
しずかに聴こえてきます。


ハア 佐渡へ八里の さざ波こえてよ
鐘が聞こゆる 寺泊

ハア 北は大佐渡 南は小佐渡よ
あいの国仲 米どころ


sei

おいしいお米は美味しいお酒も生みます。



sei船のブリッジのレーダー


「ああ、揺れている荒海。佐渡の上に横たわっている天の河よ」と、
宗左近先生は芭蕉の句を絶唱されます。



そして、“荒海、佐渡、上、天の河という事象によって
具体抽象されて、世界は再現している。      ・・・略

そこに、芭蕉自身は、何を見たのであろうか。

宇宙の本質を(つまり絶対を)見たのである。

「荒海や」の一句は、その本質の形象化にほかならない。



 あら海や 佐渡に横たふ あまの川


 ただ、その本質は、あまりにもきびしく人間を拒むものであり、
完全に人間と断絶しているものである。非情無残である。

 そのため、芭蕉は涙の袖をしぼらないわけにはいかなかった。
ただ、その理由に、自分で気付くことがなかった。

だから、「墨の袂なにゆへとはなくて」と書かないわけにはいかなかった”と。



「宇宙の本質=絶対」
旅は、それと直接向き合う数少ない機会を、
奇跡的に与えてくれることがあるのでしょう。



ホテルの窓から満天の星空を見上げた時、
突然、熱いものがこみ上げてきました。
顔は、涙であふれています。


見ていますか、
このように生きています、ぼくは・・・



しかし、応答はありません。

見ていますか・・・


絶対の星、その彼方の闇黒の空からは、
応答は、ありません・・・



でも、なにかが感じられます。
その夜空はあまりにも美しいのです。




sei

僕の旅は、世阿弥の「夢幻能」ならぬ、
「夢幻の旅」でした。



思うに、日常にあって、いかに日常を超えるか。
これが、聞香の鍵だ。
もっと面白くしなきゃいけないなあ。



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| 香道 | 12:20 | comments(4) | trackbacks(0) |
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コメント
木白山さんも、おかえりなさい。

佐渡はいいですよ。
やはり、海を渡るというのは感慨深いものがありますね。海をみつめているだけでも何かを感じていきます。
ぜひ、行かれたらといいと思います。
そして、道成寺の熱演を!

僕は、芭蕉が大好きなんです。
芭蕉は、『芭蕉』になろうとしてなっていった人のようですね。
彼も旅の人。
また、その足跡を「聞香」でたどってみたいと思っています。

古語は、慣れですね。
口に出してなんども読んでいると何とかなるものです。
ぼくも、まだまだですが・・・。

今日は、ありがとうございました。

                     晟聴




| seicho | 2006/06/05 8:47 PM |
晟聴さん、おかえりなさい!
素晴らしい旅をしてきたようですね!
羨ましいです。
私も佐渡には今年にでも行ってきたいです。
人形が演じる道成寺も観てみたい!!

芭蕉の『銀河の序』は、この記事で初めて知りましたが,文がとても綺麗、、、
古語はよくわからないですが(^^;;;
ちゃんと勉強しないと!
| 木白山 | 2006/06/05 6:45 PM |
小川 彰さま
こんにちは、お元気ですか。
旅は、その土地に生き、生活しておられる人々との魂の交流ですね。
昔の人とも、繋がり、今を自覚するいい機会を与えてくれます。
そう、本を読んだときから旅は始っていますね。
きょうは、有難うございました。

                    晟聴
| seicho | 2006/06/02 11:37 AM |
ギターの小川 彰です。
佐渡への旅の文と写真楽しく拝見しました。私も旅に出たい。旅に出て私と精神的に繋がるであろう昔の人の気持ちを想像してみたいと思いました。
旅は絵本、写真、文章を読んだり見たりすることからすでに始まっている。
| 小川 彰 | 2006/06/02 11:00 AM |
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